100801 カフェ研レポート

レポート「第3回 てつがくカフェ~<老いる>ってよくないこと?~」

ホスト spacer てつがくカフェ@せんだい
マスター   西村高宏(てつがくカフェ@せんだい 東北文化学園大学教員)
report   国連は、65歳以上の老年人口数が全人口の7%を超えるとその社会を「高齢化社会(aging society)」と呼び、さらにそれが14%に達すると「高齢社会(aged society)」と定義しています。総務省統計局の「人口推計」によれば、平成22年7月時点での日本国内の65歳以上人口は全体の23%にまで達しており、日本は超高齢社会を突き進んでいると言えます。それにもかかわらず、わたしたちの社会は<老い>を<老い>として、すなわちそれを肯定的に語るコトバや文化を持ち合わせていないのではないでしょうか。今回の哲学カフェでは、まずはそのあたりを共通の問題意識として確認したうえで、<老い>をいかに語るかといった独特の切り口から議論を始めていきました。<もの>や<ひと>の価値を「~ができる」といったかたちで、すなわちその<生産性>から判断する生産能力主義的な語りからでは、<老い>はいつも「~ができない」「~ができなくなった」といった非生産的なものとしてしか語られなくなる。そうなれば、必然的に高齢者は受動的な存在もしくは否定的な存在とみなされ続けることにもなりかねない。他方で、最近提唱されはじめた「アクティブ・エイジング」や「プロダクティブ・エイジング」などといった「活動的な高齢者」という<老い>のイメージもまた、そもそもそれは<老い>そのものについて何かを語っているとは言えないのではないか。なぜなら、それは依然として生産能力主義的な視点から<老い>や<高齢者>を語っているにすぎないからである。わたしたちは<老い>を<老い>として語ることばを意外に持ち合わせていない。このように<老い>の文化が空白であり続ければ、<老い>はよくないもの、望ましくないものであり続ける。<老い>をどう語りなおし、デザインし直すべきか? 今回の議論はこのようなかたちで一気に核心へと突き進んでいきました。議論の最後に、参加者のお一人が、ホイジンガの「ホモ・ルーデンス(遊ぶ人)」という考えを引き合いに出しながら、日本では<高齢者の遊び>に関する意識(実際、高齢者の遊びの種類が極端に少ない)が低い、それはある意味において「老いの文化」が極端に貧相なものになっていることを証明しているとも言えないか、という指摘をしてくださりハッとさせられました。参加者のみなさん、今回も刺激的な対話の場を作り出していただき、ありがとうございました。
    文責:西村高宏(てつがくカフェ@せんだい)
開催日時   2010年8月1日(日) 15時から17時
開催告知web   てつがくカフェ@せんだい