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micafe第5回は、社会学者の毛利嘉孝さんをお迎えして、私たちの身体が創り出すダンスという文化について考えてみました。 最初に毛利さんがみせてくれたのは、マイケル・ジャクソンのPV。MTVで放送されていたビデオには、実は続きがあって、黒人差別に対する反発のメッセージが込められていたとのこと。歌やダンスという一見無邪気な身体的実践(だからこそ、なのかもしれませんが)に政治的な意図が介入することは、もしかしたらごく自然なことなのかもしれない、と考えさせられました。 このことは、次のイギリス、ノッティングヒルのカーニバルについてのお話とも関連してきます。ダンスをしに集まってきた人達に対して、警察が取り締まり、カーニバルは次第に政治性を帯びていく。元からダンスそのものに政治性があるわけではなく、ただダンスをしに集まってきた人たちに対して反体制的な何かを探ろうとする。そんな視線を感じた参加者が暴徒化し、ダンスはいっそう反体制的とみなされるようになる。いつの間にか体制と反体制の対立軸が創り上げられていく。そのプロセスの中心にあるのはやはり私たちの身体で、身体や身体的実践を介してこのような軸が創り出されているように思われました。 テーブルディスカッションでは、黒人に対する考え方に関するものからダンスの政治性に関するものまで、幅広い疑問や感想が飛び出しました。毛利さんとのやりとりを聞きながら、ダンスやストリートパフォーマンスが自然と纏ってしまう、排除できないある種の政治性というものは、やはりそれが身体的な実践であるということと大きな関係があるのではないだろうか…現在中東で起こっている一連の暴動なども、ネット上のつながりだけでそこまで炎上するのだろうか…ストリートへ飛び出すことで、実はカーニバル的昂揚に身体が取り憑かれてしまったのではないか…そんな考えが頭に浮かんでは消える数時間でした。 |