「あなたにとって幸福とはどのようなもの(状態)ですか?」。今回の哲学カフェでは、まずは参加者の方々にそのような問いを投げかけ、各々それについてこたえてもらうところから議論を始めました。参加者の方々のこたえを聞いていてファシリテータとしてとても興味深かったのは、こちらが「あなたにとっての幸福の状態」を聞いているにもかかわらず、そのこたえの多くが「幸福一般」について語られていたという点です。おそらく、参加者の方々は、どこかしら幸福というものが「自分さえよければそれでよい」といった〈自己充足的な側面〉からだけでは語り尽くせないものであることを直感的に感じ取っておられたのかもしれません。今回の議論も、まさにそのような直感に後押しされるようなかたちで進んでいきました。
確かに、〈幸福の条件〉として第一に考えなければならないのは「自分の特定の欲求が満たされているかどうか」であることは疑い得ない。しかしながら、それが自分の目指す行き方や信条から著しく懸け離れた、いわゆる目先の欲求の充足であるならば、そしてさらには〈社会的な承認〉が一切得られないような状態のものであるならば、どれだけそれが心地のよい状態であったとしてもそれは一時的なものに過ぎず、わたしたちはそれを「幸福」とは呼び得ないのではないか。すなわち、〈幸福の条件〉にはどうも〈他者や社会からの承認〉といった要素が欠かせないのではないか。
今回の議論はこのようなかたちで進んでいきましたが、もうひとつの議論のスジとして「幸福観」ということばに焦点を絞ったものがありました。幸福をどのようなもの(状態)として考えるかは個々の文化や時代(世代)の違いによって異なってくるものであって、すべての地域や文化、さらには時代(世代)を越えて妥当する〈普遍的な幸福観〉などといったものは存在しないと考えるべきではないか、といった議論です。もちろん、〈幸福の条件〉を考えていくうえで、このような〈幸福観〉の普遍性に関する吟味も必要でしょう。
今回もとても刺激的な対話がさまざまなかたちで展開されました。参加者のみなさん、また次回もよろしくお願いいたします。 |