2011年度 企画案B「叫びのつぶやき展」

もう一度考えるグループ(Bチーム)

Ⅰ.企画の経緯

 一般市民の目線で考えたい

 Bチームは、メディアテークという公的な場で行う展覧会企画という意味を考え、個々人の内面から湧き出る思想や価値観からテーマを設定するのではなく、まず一般市民として公的・客観的な視点で何を考えるかという切り口から議論を進めました。

 市民としての関心ごとや諦めていること、夢や未来のことなど考察するにつれて、他者との関係性や社会との属性が問いとなって重くのしかかってくる様になりました。その問いはネガティブにもポジティブにも捉えられるものでしたが、私たちBチームはポジティブな問いかけを求めたいと考えました。

 一般市民の目線は個々人の視点から

私たちは、日常の社会を見渡すと多岐にわたる事象が複雑に絡まって存在しているために一般市民の目線から現状を把握することには困難がある事を実感し、また、「この先」を考えようとすればますます不明瞭となり、考えようとするスタンスの根底には自分自身が属する環境・価値観・志向が背景として現れることに気づかざるを得ませんでした。

一般市民としての思考としても結局は個々人の素因と個々を取り巻く環境因が強く作用していることを実感する結果となりました。

 この先について考えてみる

私たちはこの考察の過程を経て、市民の目線という切り口には、「市民の一人としての目線」という視座が含まれていることから以下の結論を導きました。

 公的な世界と私的な世界は、分断されることなく存在し

「この先」を想像することで、すべては「個人」と「社会」の間を循環し続ける

 

降臨するテーマ

この結論を受けて、個と社会との関係性を考えるためにふさわしいテーマを議論しましたが、全員が納得するようなものがなかなか現れません。議論三日目にして、メンバーの一人がふと口にする感じで『叫びのつぶやき』と出たとき、霧が晴れたかのように全員が共感し私たちの思いが伝わるのではと納得したのでした。

Ⅱ.企画案

 『叫びのつぶやき展』企画書

          泉田文陽 岩瀬張友花 奥山心一郎 北村由里 小林えり 佐藤厚 長崎由幹

 

 本展覧会では、来客者に、無意識のうちに一人ひとりの本性を変化させる社会の特質と、本来人が持っていた本性(叫び)を提示します。来客者に、社会に抑圧されている本性のつぶやきに耳を傾けていただき、いかに社会で生きていくかを問いかける展覧会としたいと思います。

■展覧会について

【誰もが異なる本性を抱いている】

私たちは恐怖、好奇心、競争、不信、復讐、自尊心、欲望などといったあらゆる情念を抱きながら暮らしています。湧き出てくるさまざまな情念を素直に感じる心を本性と呼ぶとすると、私たちは一人ひとり異なる本性を抱いているといえます。ひとつの物事に対してもそれぞれが異なる感情を抱いたり、また違う行動をとったりすると考えられます。

 

【社会とは個人の集団である】

 私たちは一言に社会と聞くと、物凄く大きくてぼんやりとしたものを想像するかも知れません。しかし、それぞれ異なった本性を持つ人間たちが集まることで成り立っているものだと考えると、社会は身近なものとして捉えることができます。

 

【抑圧される本性】

しかし、私たちは誰かと関わるとき、持っている本性を全てさらけ出して付き合うことはあるでしょうか。例えば、上司と話し合いをするときは、自分の考えと異なっていたとしても上司の言い分に従うということがあるでしょう。また、人前でスピーチをするときは、緊張して言いたいことをうまく伝えられなかったということもあるでしょう。

このように私たちが誰かと関わるときには、意識的であれ無意識的であれ、本性とは異なる自分を装うといえます。そして、私たちの本性は装い続けることによって次第に歪んでいきます。同様に社会で生きていくにあたっても、規範、約束、慣習によって装うことを強いられ、人々の本性は抑圧されてしまうと考えられます。

つまり、私たち人間は「社会で生き延びるために、本来持っていたはずの本性を放棄せねばならない」という義務を背負って生きているのです。

 

 ■企画案に至るまでの背景

【わたしのための展覧会!?みんなのための展覧会!?】

 まず私たちは、展覧会のコンセプトを決めるためには、一個人の視点からではなく社会全体の市民の視点から探っていくべきだと考えました。なぜならこの展覧会は、公的の場、それも仙台の中心地であるメディアテークで行うため、特定の人に限らず多くの市民に価値を与える展覧会にしなければならないと考えたからです。

 グループを決定する以前に、一人ひとりで展覧会案を出すというワークショップを通して、個々人の内面から湧き出た問題意識を前提としたコンセプトが挙がりました。しかし、これらの案は本当に多くの市民に価値を与えるものか疑問に感じました。そこで、あえて公共の視点から問題意識をあぶりだしたいと考えたメンバーが集まり、もう一度考えるグループが結成されました。

 【しかし…】

 私たちは公共の視点から社会を考えていくと、政治や経済等の漠然とした不安感を思い浮かべます。さらになぜ漠然とした不安感があるのかを考えると、失業の不安や、家族は支えていけるか、といった自分自身の問題に帰っていきます。このように、実際に公共の視点から問題意識を探り掘り下げていくと、結局は自分自身、つまり個々人の問題に帰ってきてしまうことに気づきました。つまり、問題意識は個と社会を絶えず円環しているのだとわかりました。そこで、私たちは個と社会の関係性を検討していくことが必要だと考え、上記のようなコンセプトに至ったのです。

 

■展示場所・作家(案)

 私たちは、より多くの市民に展覧会を楽しんでもらうために、6階ギャラリーによるグループ展示、メディアテーク壁面による野外展示、1階のオープンスクエアによるステージイベントの3つを行いたいと考えました。なお、作品は社会の特質が想起されうるもの、また、個人の本性の叫びが表れているものを中心に、多角的な視点から選出しました。

 

現在、smt7Fで企画案のパネル展示を行っています。ぜひ一度ご覧ください。(いずみだ)

椹木野衣さんレクチャー

2011年10月22日レクチャー要約(その1)f.izumida

椹木さんはもともと哲学をしていたが、評論家として1992年展覧会を企画したのがキュレーションの始まりという。それ以前から雑誌、本に原稿を書き、日本画壇の変化を願っていた。日本の美術、ニューヨークの美術の格差を縮めたいと思い、海外の現代美術の紹介をおこない、タコつぼ化した日本の美術界に影響を与えたいと考えていた。

時代を変えたいという思いから、どんなやり方、どうすれば、どんな作家を?と思考を重ねた。銀座の貸し画廊ではインパクトを与えるような作品を展示する事さえ不可能と思えた。そんな矢先、羽田にユニークな場所ができることを知った。「レントゲン芸術研究所」だった。倉庫を改造したもので、重量物を持ち上げるためのリフトが付いていた。

その当時、スタジオボイス、ブルータス、クレア、スパなどいろいろな雑誌にニューヨークの美術動向を紹介していた。しかし、紹介しただけで終わるのではなく、実際に活動ができる「場所」をつくることが大切だと考えていた。

当時、美大の学生だった村上隆は展覧会の企画をプレゼンしたいと電話をよこした、自分の作品をではなく、キュレーションをしたいと相談しに来たことに、作家がこう言うのはまれで「変わってるな」と思った。その後、村上と電話や神田神保町の茶屋で議論を重ねた。制度そのものからの脱却、場所や考え方から変えていかないと意味がない、捨て石になってもいいという覚悟でいた。新しいことが始まるときはそんなものなのかもしれない、ほんとうに些細なことが始まりとなった。

「レントゲン芸術研究所」は大森東にあり、池内美術の息子が現代美術の表現芸術を志し、劇団を持っていたためその劇場として整えたものだった。研究所のこけら落としの際にはじめて池内氏にあった村上、椹木は意気投合し、何件かはしごをしているうちに現代美術展を開催する事まで話が進んでいた。

「アノーマリー(普通ではない)」という企画展がはじめてとなったが、展覧会の一部始終を記録することが重要であると考えた。前の世代の芸術運動では作品との出会いを重視していた、反芸術運動は残らない作品が多く、また、終わったら粗大ごみになってしまう。表現芸術では、記録することが重要であると感じていた。

招聘した作家たち(中原浩大、ヤノベケンジ、村上隆、伊藤ガビン)には新作をお願いした。作家一人ひとりはこれをガチンコの勝負だとし、何を展示するのかを探り合いしながら当日までどうなるかが分からないような企画展がはじまった。