坂口恭平アーティストトーク変更のお知らせ

お詫び

坂口恭平アーティストトーク変更のお知らせ

2月26日(火)に予定していました坂口恭平アーティストトークですが、都合により坂口恭平さんが仙台に来られなくなったため、インターネット中継で熊本とせんだいメディアテークをつなぎ、坂口恭平さんとのコール&レスポンスを行うことになりました。
楽しみにしていた皆さまには大変申し訳ありませんがご了承ください。

【坂口恭平とのオンライントーク】

インターネット中継にて熊本とメディアテークの会場をつなぎ、やりとりを行います。是非ご参加ください。
日時:2月26日(火)18:30~20:30
場所:せんだいメディアテーク6階ギャラリー4200
予約不要、入場料無料

『見過ごしてきたもの』展

こんばんは!
C&Rブログ、久しぶりの更新になります。
そして、今更ですが明けましておめでとうございます。

年末年始と、しばらく更新していませんでしたが、
その間にも着々とプロジェクトは進んでおりまして、
いくつかお知らせすることがございます。

■展覧会の会期
2013年2月25日(月)-3月4日 (月)
※2月28日(木)はメディアテークの休館日

■場所
せんだいメディアテーク6Fギャラリー4200

■時間
11:00-20:00

そして、展覧会のタイトル

『見過ごしてきたもの』展

に決定しました!

今のところ五組の作家さん達に作品を制作してもらう予定で、
絵画あり、彫刻あり、空間を使ったインスタレーションあり、、、

タイトルの意味や作家さん達の詳しい情報については、
次回以降の更新でお話ししようと思います。
お楽しみに!!

企画・広報担当
ゆう

新潟に行ってきましたよ その1

こんばんは、企画・広報担当のゆうです。
前回更新した、山形編よりも時間的に前になるのですが、大地の芸術祭「越後妻有アートトリエンナーレ2012」を見に新潟は十日町まで行ってきました。展覧会を作るには、いろいろな作品を見ることも大切だろうと、まあそんな感じで。

「トリエンナーレ」とは「三年に一度開かれる国際美術展」を差し、有名なものだと、横浜桜木町付近で開かれている「横浜トリエンナーレ」などがあり、国内外の若手からベテランまで大小様々な作品を見ることができる。
「越後妻有アートトリエンナーレ」はとにかく広い。全部で六つのエリアに分かれていて、360点もの作品がある。面積は760㎢らしい。 760㎢と言われてもピンと来ないので、試しに仙台市の面積を調べてみると780㎢。仙台市全体とほとんど同じくらいの広さの地域に美術作品が点在している。公式ガイドブックによると、全部の作品をきちんと見ようとすると、大体一週間くらいかかるらしい。

C&Rに参加していて、視野が広がったと感じることの一つに、「美術」という言葉の定義があります。やっぱり美術というと、絵画だったり、彫刻だったり、版画だったり、そういう学校の美術の授業で習った類いのものを想像します。もしくは現代美術の範疇に収められるものとしては、写真や映像といったメディアアートや、空間自体を作るインスタレーションなど が主流とでも言えるでしょうか。実際に作家の方が自分の肉体を使うものとしては、ダンスや舞踏なども美術という言葉に含まれる場合もあります。

今回、越後妻有で見てきた作品の一つに
リクリット・ティーラヴァニットという作家の「CURRY NO CURRY」 (カレーノーカレー)という美術作品があります。
カレーノーカレー
(カレーがあるときは「CURRY」のランプが点灯し、なくなると「NO CURRY」が点灯する。)

この作品は、地元で採れた野菜をふんだんに使ったカレーを見に来た人に食べさせるというもの。じゃあ、レストランと何が違うの?というところですが、この作品の目的はカレーというツールを使って、地元の人と観光客の間に「対話」を作り出すことにあるそうです。やっていることはレストランとなんら変わりないのですが、それに対するスタンスが違うっていうことなんでしょうね。きっと。

カレーノーカレー2

ここ、一年半ほどC&Rの活動を通して、様々な美術作品に触れてきて思うことは、美術作品とはつくづく広い意味での「コミュニケーション」なのだということです。とりわけ、今日紹介した、「CURRY NO CURRY」は分かりやすい例えかもしれませんが、きっと絵画だって彫刻だって、それを作った人物(たとえ作者がもう亡くなっている作品だとしても)言葉では言い表すことの出来ない意思を作品に込めているはず。鑑賞者は、作品を通して作者の心とコミュニケートしているのだと思います。
そのようなことが出来るものを総称して、「美術」と呼ぶのだなと。今はそう考えています。

企画・広報
ゆう

 

山形に行ってきましたよ その2

企画・広報担当のゆうです。こんばんは。
さて、今日は先週に引き続き山形編をお送りいたします。

今回は山形在住の作家さん達が住まう「ミサワクラス」の回です。
まなび館でのイベントの後にsmtのスタッフの方に連れて行ってもらいました。「ミサワクラス」は、山形市内にあった「三沢旅館」を若手の作家やデザイナー達が住む「シェアアパートメント」として改装した居住空間です。

住人は主に、山形県内にある、東北芸術工科大学(芸工大) の学生さんや卒業生が多いらしいのですが、もともと県外から来ている方も多く、在学中に山形の魅力に気づき、卒業した後も山形に住み続けるひともいるそうです。

スタジオ・キッチン(「ミサワクラスHPより」)

ミサワクラス建物内にある共同キッチンでは、「Studio Kitchen/スタジオ・キッチン」を不定期で開催していきます。さまざまなヒト・コト・カタリのコミュニケーションの場として、枠にとらわれないクリエイティブな企画を展開していく、ミサワクラス独自のサロンです。

今回は「スタジオキッチン」でケーキとコーヒーをご馳走になりましたが、なんとコーヒーカップや器もすべて陶芸作家さんの作品とのこと。

その他、写真家さんの作品や、画家の方の作品など様々な作品を見せていただきました。もしかすると、今後どこかでお世話になる方もいるかもしれません。

 現在「山形まなび館」で開催されている絵本作家の荒井良二さんとのコラボ企画「荒井良二とミサワクラス」も開催中。

なんといっても、美術作家(のみならずあらゆるジャンルの作家)は創作活動を続けていくことが難しいのですが、山形では「まなび館」のような展示場所や、「ミサワクラス」のような居住空間、「東北芸術工科大学」のような学ぶ場所などがあり、まだまだ実験的ではあるにせよ、彼らを応援するような環境があるのではないかと思いました。

今月末まで(土日・祝日のみ)展示しているようなので、山形在住の方や、近隣の方など訪れてみてください。
思いがけない作品や作家さんとの出会いがあるかも。

 

参考:
ミサワクラス http://gs.tuad.ac.jp/misawa/

「ミサワクラス」とは(ミサワクラスHPより転載)

山形県の中心市街地にある七日町に旧三沢旅館はありました。この旧旅館を東北芸術工科大学建築•環境デザイン学科にある山形R不動産リミテッドが、中心市街地にある建物の新たなる活用法として、実験的に旅館を学生や卒業生が住むシェアアパートメントとして生まれかえました。

旧三沢旅館は、郊外に位置する大学の傍ではなく、中心街に住みたいと思っている若者が、現実的に街中で住むための方法の一つであり、街中に住むことはどんなことか検証する、実験場です。つまり、ここでの一人一人の生活と共同生活そのものが、実験なのです。また、地方都市の中心市街地の再生方法の一つとして、「もう一度、街中に住むことを考え直すということがある」と考えました。それをどのように街に実現させていくかを、検証するための、都市においての実験でもあります。
しかし中心市街地にただの学生寮としてあるのはおもしろくない、何かしたい。そのようにして、「ミサワクラス」は始まりました。ミサワクラスとは総称でありアパートメントの名称、建造物として、ここに暮らす個性豊かな住人、プロジェクト、オープンスペース、アートワーク、イベントなど、ミサワクラス(旧三沢旅館)に暮らすから発信していく事象を指します。

主に主体となるのはミサワクラス(旧三沢旅館)に現在住んでいる入居者。ミサワクラスには現在11人が生活しており、アーティストを志す人やデザイナー、学生など様々なジャンルの人間が暮らし、空間、時間を共有しています。ミサワクラスでは、様々な機関と連携した活動を試みています。

山形に行ってきましたよ その1

こんばんは
企画、広報担当のゆうです。
先日、C&Rのメンバーである奥山さんが企画した、
exART_NE(エクスアート・ノースイースト) 

という企画を見に山形まなび館に行ってきました。

山形まなび館は山形市立第一小学校を改装し、美術作品の展示や各種イベントの会場として使われている素敵空間です。

iriguchi

まなび館では絵本作家荒井良二さんの「山形じゃあにい2012」を開催していましたが、
時間がなくてあまり見られず。
manabikan_cafe

中にはカフェも併設されており、特に用事がなくてもくつろげるようになっています。

nagasaki_sakuhin

イベントでは、奥山さんが探してきた、若手の作家さんのライブや展示があり、
C&Rメンバーの長崎さんの映像作品も展示していました。

C&Rには美術に興味がある市民が集まっており、
C&R以外にも様々な活動に参加、企画しているメンバーも多いです。

僕がこのプロジェクトに参加して良かったと思うのは、
美術展を開催するという、美術館や博物館がこれまで公開してこなかったプロセスを学ぶという直線的な学習の他に、
メンバーがそれぞれに持っている、様々な活動に参加することを通して、今まで知らなかった土地に行き、そこで色々な人と出会い、今まで知らなかった領域と交わることができたということもあります。

山形編その2では、山形の若手作家達が住まう「ミサワクラス」について書きたいと思います。

ゆう

オーラルヒストリー

手で文字を写していくことによって、言葉が体の中に入っていくんです。
膨大な言葉による、体の変身。
そして、歌のように訛りが体から出て行く。

 

志賀さんは二〇〇七年に木村伊兵衛賞を受賞している写真家だ。木村伊兵衛賞というのは「写真界の芥川賞」とも言われ、蜷川実花や、ホンマタカシなど現在活躍している作家を多数輩出している写真賞である。2011年~2012年にかけて、smtで連続レクチャーをされており、 今回は2011年8月7日のレクチャー「オーラルヒストリー」の内容をまとめた。

志賀さんは、宮城県名取市北釜を訪れたときに、ここに住んで作品制作をしようと思い、「村の専属カメラマン」として活動する傍ら、作品制作をしている。昔からの集落である北釜に溶け込むことは容易なことではなく、宇宙人を見られるような目で最初は見られていたらしいが、町内会のイベントの撮影などを通して、少しずつ村の人たちの中に溶け込んでいったらしい。
志賀さんは、村の人のオーラルヒストリーに興味を持ち、何十人もの老人にインタビューをしていく。

「今まで見た中で一番美しいものは何ですか?」
「どんな食べ物が好きですか?」

その答えを聞き、録音し、タイピングする。そして、そのタイピングした文字を肉筆で写していく。そのことによって、文字が体の中に入っていくのだという。そうやって、何度も何度も文字を自分の体の中を通過させ、腕や首や、皮膚の内側で肉体化させていく。北釜の老人たちの答えは、そっけないことのほうが多く、中々思うように進まなかったらしいが、例えば美しかったものは「花」と答える老人が多く、「犬」を食べたという話を聞くこともできたそうだ。答える言葉は、「訛り」があり、それは「歌」のように体の中に染み込んでいく、「言葉」よりも深いメディアとなりうる。志賀さんは、そうやって、集落に住む老人たちの経験を肉体化してきた。オーラルヒストリーというのは、事実をそのまま事実として記録することとは違う。誰かが出来事を一度自分の中に取り込み、それを消化し、誰かに向けてアウトプットするといった作業だ。出来事は、彼らの肉体を通して、「物語」へとコンバートされ、他の誰かに伝えていく。それがいわゆる口伝の構造だ。

そんな話を聞きながら、昨年、大学時代にお世話になった教授が言っていた言葉を思い出した。
「最近、大学の中はどうですか?」
「どうもこうも、ますます『使える人間』作ろうとしているよね。」

この教授の言葉は今の大学へ向けた皮肉であると同時に、悲しいほどに真実を表している。そもそも「使えない」人間を養成する文学部自体の存続が怪しい時代である。受験生も、そこで得ることのできる資格や、英語の点数、就職率でしか大学を評価できないし、事実、外側から知ることができる情報の限界もある。そして、それは社会が人を評価するときの物指しと一致する。大学は社会の要請に応えようと努力し、ますます『使える人間』を養成することに躍起になる。最近では肉筆の履歴書より、タイプした履歴書の方が好まれる場合が多いという。しかしながら、そこで立ち止まりたいのは、「タイプした文字から抜け落ちたものはなんだろう?」ということである。口語に「訛り」があるように、文字にも癖がある。同じ人が書いた文字だって、体調がいいときに書いた文字と病気がちな時の字には差があるし、自信があるときと無い時の文字の差は歴然としている。年齢によって筆跡が異なることは言うまでもないだろう。それが、タイピングしたときに抜け落ちてしまう、決定的な情報である。言葉というのは例えば、TOEICのテストで計れるようなスキルとは全く違い、体の中に地層のように堆積していくものである。

志賀さんがやっていることは、そのようにして、現代社会が「無駄」だといって削ぎ落としてきた情報を拾い集めている行為に思われる。訛りを録音し、それを写経することによって、言葉のリズムを歌のように肉体に取り込んでいく。そして、他者の記憶を自分の肉体で消化して、カメラという装置を使って写真作品にコンバートしていくのである。一連の作品を作るのに三年以上をかけているこの手法は、全くもって効率が悪い。しかし、その効率の悪さというのは、現代社会が「無駄」だといって削ぎ落としてきた効率の悪さである。しかし、その経過した時間の中で、体の中に地層のように折り重なった出来事は、「物語」として変容を遂げていくのである。

志賀さんにとって、写真とは肉体化されたイメージをアウトプットするある種の宗教的な儀式のようなものだったそうだ。それは、これまでの写真集「Lilly」を見てみても明らかだ。一回撮影した写真を炎で照らしながら何度も何度も繰り返し撮影して、記憶の奥底にあるイメージに近づけていく。それは自分の記憶を探っている儀式のようにも思われる。

学生のときに受講していた、映像文化論の講義を思い出した。
「写真でシャッターを切るというのは一瞬のことのように思われるけれど、実は君がそこに至るまでに生きてきた記憶との長い長い交渉の末に選んでいる行為なんだ。君はシャッターによって世界を切断していると同時に、瞬きによっても無意識のうちに世界を切断している。切断された世界は死と生を喚起させる。目を開いて閉じるということは写真行為に他ならないし、逆にいうと、写真行為は記憶との交渉でもあるんだ。」

そのように考えると、志賀さんの手法は、ある意味、危険な方法であるとも言える。他者の記憶を自分の中に取り入れるということは、他者の記憶と交渉することでもあるからだ。そのことについての質問があると。
「確かに危険であるということは承知しているが、自分は写真と生きるか死ぬかという、あまりにも密接な関わりをしている以上、覚悟を持って臨んでいる。」
という返答の中に、志賀さんの飾るところのない屹立とした強さを見た気がする。

佐藤 雄

【参考】
志賀理江子 公式ホームページ
http://www.liekoshiga.com/

はじまりとして

コール&レスポンスとは、市民がキュレーション(美術展を企画すること)を学びながら実際に展覧会を企画するプロジェクトです。

2011年に「せんだいメディアテーク」(以下smt)の

呼びかけ(コール)に

応答する(レスポンス)

する形で始まりました。
2013年の2月~3月
にsmtで開催する展覧会に向けて市民の参加者の手で形作られていきます。

参加者は
カメラマン、映像作家、学校の先生、
設計屋さんに、広告屋さんに、八百屋さん
就職活動中の学生さんや、大学の事務員さん
エネルギー屋さんや、NPOの職員さんまで

まるで、市民の縮図のような

“わたしたち”が

震災を経た仙台市でやるべき展覧会とはなんでしょう?

こころに投げ込まれた石が、その奥で水面を揺らすことはあるでしょうか?

それぞれの参加者がそれぞれの切実さを抱え、どんな展覧会にしようかと、
割れる意見に、時に軽く絶望したり
来たるべき展覧会を、時にうっとりと夢想しながら
街の明かりで明滅する仙台市の中心部で、このプロジェクトはゆっくりと進行しています。

その様子を、このブログではお伝えしていくつもりです。

※「コール&レスポンス」は「せんだいメディアテーク」の企画による活動ですが、このブログはあくまでその参加者が運営するものです。