8月14日。「キュレーターによる展覧会についてのレクチャー第2回目」として、大阪で「梅香堂」(http://www.baikado.org/docs/home.html)というオルタナティブ・コマーシャル・ギャラリーを運営している後々田寿徳(ごごだ・ひさのり)さんのレクチャーがありました。
後々田さんは「日本のポップ ──1960年代」(福井県立美術館、1992)、「世紀末マシーン・サーカス(SRL日本公演)」(ICC、1999)、「E.A.T. ──芸術と技術の実験」(ICC、2003)などたくさんのプロジェクトを企画してきた方です。私は一つ一つの企画について知らなかったのですが、それぞれ思い入れがあるようで、事細かに話していただいたおかげで現代美術の世界の一端を垣間見れた気がしました。
中でも面白かったのが、「世紀末マシーン・サーカス(SRL日本公演)」の話です。
SRL (Survival Research Laboratories)はアメリカのパフォーマンスグループで、「巨大マシンやロボット互いに戦わせ、あたりを破壊しつくす」ようなことをしているのだそうです(ざっくりですみません、HPがありました→http://www.srl.org/index.html)。彼らのビデオを見てこれを日本でもやりたい、見てみたい、ということで後々田さんたちは「世紀末マシーン・サーカス」の公演を企画したのだそうです。当日会場となった代々木公園では、巨大ロボットが火を噴き、モニュメントが炎上し…、とSRLのはちゃめちゃなパフォーマンスに誰もが驚かされたようです。
これだけだとどんなことが起こっていたのかさっぱり意味が分からないと思うのですが、ただ、ビジュアルとイメージが強烈で、どうしてそんな企画が成り立ったのか、成り立たせるまでの冷や汗したたる苦労話など(消防法の申請など準備がものすごく大変だったそうです)いろいろ聞けて面白かったです。
今回、「キュレーターによる展覧会についてのレクチャー」ということで来ていただいた後々田さんですが、自身はキュレーターではなく学芸員を名乗っているそうです。キュレーターの人が既成のハコ(美術館や博物館)の外で展覧会をオーガナイズするのに対し、学芸員というのはハコに対する責任が重いのだそうです。また、キュレーターはキュレーター自身のアート性が高くなり、自分のアイディアを実現させる為に作家を素材として並べて展覧会を企画する傾向があるけれど、自分は「モノにモノを言わせる仕事」をする学芸員に近く、作家の作品の為の黒子に徹しているとおっしゃっていました。
そして、これまで様々な企画をしてきた中で、後々田さんが大切にしているものを聞いたところ、究極は自分がそれを(その企画展を)本当に見たいか、という動機であるとおっしゃっていたのが印象的でした。もちろん学芸員をやっていれば仕事なので全部が全部自分の好きな事を出来るという訳ではないのだそうですが。
こうした考え方は今の後々田さんの活動にも繋がっているように思います。
後々田さんは2009年に梅香堂というオルタナティブ・コマーシャル・ギャラリーを立ち上げました。それまで、福井県美術館やICCといった「大きな組織」に属して活動していたことから、リスクを背負ってインディペンデントでやっている人たちに対する後ろめたさがあったそうです。また、組織にいることで自分がいいと思っているものを見せられなくなり、ルーチン化する仕事から離れたいと思うようになり、自分が本当にやりたいことを自分のお金で責任を持ってできる梅香堂を始めたのだそうです。とはいえ、一つの施設を一人で運営する、というのは簡単なことではないわけで、知人には「無謀な試みだ」とも言われたそうです。
後々田さんは自分の好きなものに素直で、それをやる為なら多少無茶をしても自分の責任でやり通そうと腹を決めているようで、そのありようがとてもかっこいいと思いました。「公共性」という言葉をよく聞きますが、美術の世界でも社会貢献や社会的広がりといった「公共性」が前提になることが多いのだそうです。しかし、文化活動において公共性を第一義とすると、主体性が消え責任の所在もあやふやになるリスクが伴う、と後々田さんはおっしゃっていました。公共性は、見せるという行為の先に結果的に獲得されるものであって、それが逆ではいけない、と。
震災以降は特に、「公共性」を掲げた様々な活動を目にすることが増えました。私自身もそうした活動をすべきなのかな、と思ったりもしましたが、「『みんなのためにやる』というぼんやりしたものではなく『自分がこれをやりたい』からこそ自分がそれに対して責任を持ってやる。結果的にそれを楽しんでくれる人がいたらいい」そうした後々田さんのスタンスに、背中を押される思いがしました。これからコール&レスポンスで企画展を考えていく上でも、自分が本当にやりたいことは何なのか、という本質を見失わないでいきたいと思いました。
伊藤照手