昨年7月31日に、キュレーター四方幸子さんによるレクチャーがありました。
四方さんは、情報環境とアートの関係を研究しながら、数々の先験的な展覧会やプロジェクトを手掛けてきたキュレーターです。キヤノン・アートラボ、森美術館、NTTインターコミュニケーションセンター [ICC]の他、 インディペンデントでも活動を行ってきました。
今回のレクチャーでは、四方さんが手掛けてきた数々の展覧会の他、今後キュレーションに挑戦する私たちに向けて、新しいキュレーターの概念について紹介していただきました。
四方さんは、自分自身と、自らを取り巻く情報や環境の関係について強く意識しているようです。この二者は隔てられているのではなく、相互に影響し合っていると話されていました。私たちは普段、環境や情報を対象として認知しています。しかし、自らも無意識のうちに環境や情報の一部となっているのです。
四方さんが手掛けた展覧会も、このように自分と外界の関係を問うものが多いと感じました。
例えば、2009年にNTTインターコミュニケーションセンター(ICC)で行われた『ミッションG:地球を知覚せよ!』 という展覧会では、気象、国際宇宙ステーションの軌道、南極大陸などといった地球規模の観測データを一挙に会場に持ち込み、リアルタイムで映し出しました。
それぞれのデータは個々人が独自に観測しているもので、連動していません。しかし、あえて同じ会場に持ち込むことによって、情報同士が結びつき組織化される可能性を示唆しています。そして、ばらばらの情報を結びつける作業をするのは来客者、つまり人間である私たちなのです。このように情報を脳内で操作する行為が、既に新しい情報を生み出しているということを暗に示しているのではないのでしょうか。
また、四方さんは、新しいキュレーターの概念についても紹介してくださいました。キュレーターという言葉は70年代に欧米で生まれました。日本では80年代後半から使われ始め、人によって様々に解釈されています。
「展覧会を企画する人」という意味で、キュレーターと学芸員はしばしば同一に解釈されることがあります。しかし、四方さんはこの二つの違いを以下のように解釈していました。
学芸員とは、美術館などの施設に専属しており、様々な専門知識をもち、専門員として展覧会の企画を行う者。一方キュレーターとは、テーマ性のある(展覧会の)企画によって、自らが広く社会に問いかける者。前者は、専門家から一般の人々に向けて、というように、学芸員と来客者の境界が明確で、トップダウン的なイメージが強く感じられます。後者は、キュレーターと来客者がフラットな関係にあり、キュレーターが展覧会を通して発信した問題意識を共有するイメージがあります。
つまり、だれもが情報をつなぎ合わせることで(展覧会の場合では作品同士に関連性をもたせることで)誰もがキュレーターになりうることを四方さんは指摘されていました。
さらに、四方さんはキュレーションの概念を展覧会にとどまらず、社会における様々な分野に拡げるべきだ、という主張もされていました。四方さんは浜野智史さん(情報環境研究家)の「個人が熟議するという近代民主主義原則が問い直されている」という言葉を引用し、個人が環境に積極的に働きかけ、情報をつなぎ合わせて発信し、さらに多数の人と共有することの重要性を訴えていました。