学生時代

きっかけ

スタンス

学生へのエール





きっかけ

―― 学生会議:坂本先生というと、建築の「概念」や「空間の分節や構成」ということを話されることが多いのですが、そのきっかけ、そういう「考え方」を見つけた時のことをお聞かせください。 

 坂本 最初はイメージです。自分で作りたい空間です。それから、「あれはよくないのではないか」とか、相対化(クリティーク)するような考え方も出る。学生達も自分に機会があればこういうものをやってみたいという思いはあるはずです。初めて作ろうとしたときにそれらをすべて実現したいと思って大体みんな欲張るわけです。だけど規模などが限定され、その中で一番効率のいい作り方を考えるでしょう。

僕はそのときに「とにかく小さなものでも大きく作りたい」と思いました。小さな部屋がちょこちょこあってもそんなの空間にならないという直感があって、大きな部屋を作れば空間ができると思っていました。そのとき予算の許す範囲で最大限の幅・奥行き・高さをとるという箱をつくって、その中に小さな箱を入れていこうとしました。このことは構成的な問題です。ただ構成的な問題とわかるのは後の話だから、そのときは閉じた箱をつくりたい、というようなことを言っていました。とにかく当時自分が作りたかったものは今とは逆の完結した世界だったのです。
    
それら箱を今度は重ねるのです。ボックス・イン・ボックス(包含関係)という言葉で考えたわけではなくて、大きなスケールのボリュームの中にこういう場所を作っていきたいというふうに日常的な言葉で考えます。しかもひとつでありながら全体がまとまったものを作りたい。このイメージがその後考えてみるとかなり建築の構成的な捉え方であったと思います。小さな単位を大きな単位の空間の中に包含させていくような構成法だと後で自分で感じるようになりました。     

ただ僕自身の、あるいは先生である篠原一男の作り方でもそういうところがあります。だからといってその作り方と距離をとろうというわけじゃなくて、無意識のうちに、そういう先生の考え方みたいなものが僕の中に入り込んでいたのだと思います。ただ先生の建物を見て、非常に感激する部分と、僕だったら違うところがあるのではないかと思うことがありました。     

僕の先生の当時の作り方は最大限のボリュームをつくることだが、例えばそれは表の空間と裏の空間というふうに2つに分けて考えていると思いました。そして表の空間・裏の空間の2つに分けて、その間に関係をもたせることはない。大きな箱の中に小さな箱を入れるということで、小さな箱の中と外という2つの対立した空間に分かれる。僕はその2つの関係が重要だと考えました。小さなスペースから大きなスペースを見ることが出来る関係を求めたかった。先生のにはそういう関係がないと捉えて、僕はそういう関係がないと面白くないのではないかと思ったのです。関係というのは、一種の構造だから大きなものと小さなものの2つの関係をどうするかというときに、大きな空間の中に、小さな空間が入るというような関係を作るというふうに考え始めたのでしょうね。     

後から僕の建物を見ると、確かに先生のものとはそこが違うと感じるし、事実そのときにああいうふうにしたくないと思ったからしなかったわけで、違うことをやりたいと思ったからこうなったのです。そういうふうにして自分の建築の考え方みたいなものが出来ていったのかもしれませんね。だから最初はあくまでも空間的にどういう空間をつくるかというイメージの問題だったのではないかと思います。   

―― 学生会議:そうすると、まずイメージありきで住宅を作られたというお話で、言葉でイメージを伝えるということは後になって考えたということでよろしいですか。 

そうだろうね。だからイメージというか、僕のイメージというのはそういう構成的なことに関わるイメージだったと言ってもいいかも知れません。     

―― 学生会議:自分の考え方、概念(イメージ)をいかに一般化(伝達)するかということについてはどういうふうにお考えでしょうか。 

一般化しようなんて思っていないですよ。少なくとも僕自身は考えていない。重要なのは僕の認識の問題って言ったらいいのかな。   
    
たとえば、住宅って居間とか台所とか食堂、夫婦寝室、老人室、子供室という部屋名がありますよね。僕が学生のときはほぼ100%、住宅の部屋名ってそういうふうにかかれていたんですけど、現在では多分皆さんにとってはそんなことなくて、建築家のプランを見るとスペースA・スペースB、あるいは室1・室2とか必ずしも機能的・用途的な部屋名がついていないですよね。だけど僕が建築を勉強し始めたときは固定的な部屋名がついていて、そんなに建築と住む人が一体化し対応するものなのかなと違和感がありました。家族によって建物が決定するというのは違うのではないかと思ったのです。     

自分の最初の住宅「散田の家」では、食事する場所もそれを作る場所も設定している、寝る場所も設定している。確かに特定の家族に対応させているのだけれども、それだけだとは思えない。イメージとして大きな箱の中に小さな箱があり、そこをたまたま寝室に使っている。僕にとって重要なのはそういう構成の構造関係がその建物としてのあり方を決定しているということだったのです。そう考え始めると、夫婦寝室とか老人室とか部屋名をつけられなくなってしまうわけです。建物を単位でわけると、○○室○○室というようにいくつかの室(部屋)が単位になりますよね。だから、部屋が建築にとって単位になることは間違いないと思ったのです。その中の相対的な位置・意味・大きさの関係で並列的に並ぶようなものを室と呼んで、そうではなくて特権的な大きさをもつものは主室、それから部屋として使うよりも廊下、玄関ホールみたいに部屋と部屋を結ぶための単位化した部屋は「間の部屋」間室、というふうに相対的な大きさや関係で位置づける。老人が使うかどうか将来分からないのに老人室と位置づけるよりもよいと思う。     

一般化するかどうかという話で今話しているのだけども、一般的なことをしようとしているわけでなくて、僕にとっての認識(実感)といかに近づけることができるのか、つまり老人室と言うのは実感と違うのです。僕は自分が最もリアリティのある空間を作りたいと考えます。結果的にそれが一般化するようなことがあるかもしれないし、なくてもよいのです。     

    

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