▼INTERVIEW

第一回

  坂本 一成(さかもと・かずなり)

略歴
1943年  東京に生まれる
1966年  東京工業大学建築学科卒業
1971年  東京工業大学大学院博士課程を経て武蔵野美術大学建築学科専任講師
1977年  同助教授
1983年  東京工業大学助教授
1991年  同教授、現在に至る

著書
1986年  現代建築/空間と方法(同朋舎出版)
1994年  構成形式としての建築−コモンシティ星田を巡って(INAX出版)
1996年  対話・建築の思考 住まい学大系(住まいの図書館出版局)
2001年  MAISONS 1969-2001 VERS L'ESPACE OUVERT(Editions du Moniteur)
2001年  坂本一成 住宅・日常の詩学(TOTO出版)
2002年  建築を思考するディメンション−坂本一成との対話(TOTO出版)




学生時代

きっかけ

スタンス

学生へのエール




学生時代

―― 学生会議:学生時代に自主的に行ったプロジェクトや研究などについて伺います。

 坂本 今は、僕が学生のときと違って、建築に関する情報や雰囲気が社会的に結構あると思います。だから誰がどういうことをやっているかを割合知っていますよね。それから建築を学んでいる学生数も増えたし、高校の頃の友達が他大学で建築をやっているとか、そういう情報の交換もあるでしょう。あと、他大学の先生が講師として違う大学で教えるとか、結構大学の中でいろいろな情報が受け取れる、そういう意味で、けっこう均質化している状況があると思います。
けれども、僕らの時代というのは大学同士の交流というのもあまりなかったし、設計に関する講師の先生がいろんな学校に行くこともなかったです。10数年前の黒川紀章さんなんかが中心になってやっていた学生会議みたいなものが以前あったけど、僕のころは外の世界との接触はオープンデスク程度で、それ以外の活動というのは特にありませんでしたね。

―― 学生会議:オープンデスクは、どなたの事務所に行かれたのですか?

それは伏せておいたほうがいいかな(笑)。実は、そこではかなりがっかりしたのです。
当時僕は学校を出たらすぐに設計事務所に行きたいと思っていました。それでオープンデスクに行ったときに、ある学校のプランをそのまま他の学校のプランに使う、つまり、同じ図面で学校名を変えて使うというようなことをやらされた記憶があります。そういうことを経験したらもうそのような事務所になんか行く気にならなくなっちゃって(笑)。
それは社会の現実を教えてくれたという言い方もできるのだけれど、とにかくモラトリアムをもう少し続けたかったということもあったので、結果的に大学院に進みました。

―― 学生会議:振り返ってみて、坂本先生はどんな学生だったと思いますか。

まぁ適当に真面目で、適当に不真面目(笑)。設計製図を中心にオープンデスクということを少しして、普通の学生だったんじゃないのかなぁ。

―― 学生会議:あまり何かに秀でたという自覚は特になかったのでしょうか。

うん。設計製図に関しては下手なほうではなかったと思いますけどね(笑)。でも先輩たちの描いたものを見ると「すごい、うまいなぁ」と思っていました。

―― 学生会議:たしか先生は、事務所を経験されてから大学のほうに戻ったということだったと思うのですが、そのあたりの状況についてお聞かせ下さい。

いや、そうではなく、今お話したように大学院の学生になって、研究室での活動をしたわけだけれど、その他に自分の下宿を仕事場、アトリエとしたようなものでした。

―― 学生会議:では、営利的な活動をしたということではないのですか。

大学院で篠原研究室(建築家・篠原一男の研究室)にいたのですが、最初そこで小さな数坪の増築を担当し、その後博士に入って1969年の最初の仕事が「散田の家」という住宅でした。

―― 学生会議:一般的な建築家への道というのを考えると、個人の事務所に奉公のような形で入りますよね。そういったことをせずに、いきなりドクターのときに設計をしたということですか。


そうですね。我流です。

―― 学生会議:図面の引き方というのはどうやって覚えたのですか。

あの、皆さん図面引きませんか?

―― 学生会議:実際に作るとなるとまた別の話になると思うのですが。 

でも、たとえば研究室に先生の建物の図面なんかがあると盗み見たりするでしょ?それに友達に設計事務所に行っている友達がいて、図面を見せてもらいました。それで「ここおかしいじゃないか」とか考えたりするのです。そういうやり方ですからどこか抜けているかもしれないけどね(笑)。
僕は篠原研究室に入って小さな増築をやりましたが、先生からこういう図面にしろとか言われたわけでもないし、誰かから与えられて描くものではなくて自分でやるものだと思っていましたね。 

―― 学生会議:割と自然に描るようになったということですか。 

描けるようになったというか、一所懸命書くように努力したのだろうね。研究室の図面を見たり、同級生で事務所に行った人や先輩に聞いたりして、そういうことの集積だったのではないかなと思います。だから誰かについて、また何かに沿って図面を引いたということの記憶はないです。 





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