問題解決型ではなく問題提案型に

建築は受身だ

メディアと建築

建築という乗り物





建築という乗り物

―― 学生会議:「R-project」、「東京R不動産」、そして雑誌「A」編集長など、さまざまな活動を行っている馬場さんにとって理想の建築家とはどのようにお考えでしょうか。

baba  ロールモデルとしては、レム・コールハースというわかりやすい人がいます。それと、常に僕は既存の建築という枠に捕らわれる必要はないと思うようにしています。確かにきれいな建物をつくりつづける建築家に憧れもするし、尊敬もするのですが、僕は常に新しい問題提起を世の中にしていき、その手段として建築を作るという行為があると考えています。建築をつくるという行為の前後には、ものをつくってもいいわけだし、イベント(R-projectなど)があってもいいわけだし、いろんな手段があると思います。そう意味では、建築はなんて抽象的で解釈の幅の広い概念なのだろうとよく思いますね。建築という最終的にそれをつくるという行為、そしてプロセスがあるおかげでそれに付帯するさまざまな現象を巻き込んで行くことができる。それは建築という中心概念があるおかげだと思います。だから本も作れる、文章も書ける、旅にも出かけられる。建築という「器」は僕にとって「乗り物」見たいなもので、その概念に乗っていろんなことをやっていけるような感覚を持っている。だから僕にとって建築はある領域を限定するものではなく、いろんな概念をポンポンと飛んで回れるための交通手段であるようなイメージを持っています。    

―― 学生会議:最後に学生諸君にエールをお願いしたいのですが。

建築にはいろんな手段がある。こんなに概念の解釈の幅が広いものはないと思う。基礎学問のようなものでしょう。数学とかとあまり変わらないぐらいの強度がある概念だと思います。だからとらわれず、常に新しい世界をみていこうという気はしますね。もっと重要なことは、世の中に対して自分がやれること、自分がやることが適切なことがあると思います。ぼくの場合は「メディアと建築」についてしっかり考えていくことが役割かなと思ったりするから。それを見極めて追求していき、つくっていくというようなシンプルな行為に終始すると、最終的に不幸にならないかなと思いますよ(笑)。     

そこでどこかいさぎよさがあるのだろうけど。でもいい時代だと思います。だって僕のような個人でも、会社や、組織、小さなメディアもそれなりにつくれるし、それが社会的な影響力をいつの間にか持つようになる。案外、そういう手段を身近に手にする時代だから、そういう意味では動き方によって変わってくるし、とりあえず「やってみること」。とりあえずやってみて、だめだったらやり直せばいいし、実際にやってみるうちに自分のやりたいことも見えてくる。自分が世の中でやれることも見えてくる。まとめると「考えながら動く」ですね。    

―― 学生会議:どうもありがとうございました。 




(2004年4月2日 日本橋 atlier「Open A」にて)
文責:仙台建築都市学生会議