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「高嶺格 大きな休息 明日のためのガーデニング1095㎡」展開催にあわせて開催する、作家・高嶺格と本展監修者・吉岡洋による対談。これまでの作品を振り返りながら、現在の社会におけるアートの可能性について考えます。

ゲストプロフィール

高嶺格(たかみね ただす)
美術作家。1968年鹿児島生まれ。京都市立芸術大学工芸科漆工専攻、岐阜県立国際情報科学芸術アカデミー(IAMAS)卒業。京都造形芸術大学客員教授。90年代初頭より、個人およびグループでパフォーマンスなどを行い、ダムタイプの作品にも参加する。舞台芸術などの空間造形にも関わり、身体を主軸にして様々なメディアを駆使しながら多彩な作品を発表している。「性」の問題にも触れながら、異なる背景や価値観を持つ他者への接触と困惑、更に相互理解を志向するプロセスを表現している。近年はダンスパフォーマンス作品も制作・演出している。
吉岡洋(よしおか ひろし)
美学者、京都大学大学院文学研究科教授。甲南大学教授、情報科学芸術大学院大学(IAMAS)教授を経て、2006年より現職。1956年京都生まれ。京都大学文学部卒業、同大学院博士過程修了。京都芸術センター発刊の批評雑誌『Diatxt.』(ダイアテキスト)編集長、京都ビエンナーレ2003、大垣ビエンナーレ2006ディレクターを歴任し、昨年は山口情報芸術センター(YCAM)の「meets the artist 2007」招待アーティストとして、出版プロジェクト『ヨロボン:Diatxt./Yamaguchi』の編集長をつとめた。個人HP Space in Cyber Space(http://www.iamas.ac.jp /~yoshioka/SiCS/index-j.html)を運営しオンラインのエッセイ等を公開している。

レポート

 「Black Garden」のシマウマ柄のオブジェを背にした6Fフロア南側にて、高嶺格氏と吉岡洋氏のスタジオレクチャーが開かれた。ガラスのファサード越しの、午後の日があたたかい。吉岡氏のタートルネックの深緑と高嶺氏のインナーのケミカルな緑を見て、「ガーデニングとかけたトータルコーディネートなのかしら?」、と一人妄想しつつ、わくわくしながら始まりを待つ。オーディエンスも立ち見が出るほど集まったようだった。

高嶺格  二人のつながりは、吉岡氏がディレクターを努めた2003年京都ビエンナーレに高嶺氏を招待した時からだという。高嶺氏の単著『在日の恋人』(京都で出品された作品名でもある)が出版間近ということもあり、話は京都ビエンナーレのエピソードから始められた。トークでは,高嶺格のこれまでと今に焦点が当てられたわけだが、最初に話題にされた「在日の恋人」と今回の「大きな停止」をつなぐ軸線が特に印象的であった。

 Slowness。京都ビエンナーレのメインテーマ。吉岡氏は、難解化していく現代アートへの違和感、9・11以後のアートのあり方を考えるなかで,このフレーズを選んだ。高嶺氏は,当初この言葉に抵抗感を覚えたという。豊かな国である日本人がそうした言葉を使うことのおこがましさを。しかし吉岡氏との対話(ご近所さんだったようです)を重ねるなかで、「今やっていることをやめる」、というその意図に共感したという。何かが変わるためには、まず止まらなくてはならないのだろう。

吉岡洋  めぐり。吉岡氏は、高嶺氏の一連の作品に、めぐること、巡礼というイメージを持つという。京都ではマンガン記念館の洞窟でインスタレーションが行われた。参加者は、LEDの明かりだけをたよりに、明るい世界から、漆黒へ、闇から、光へ、歩き、めぐる。洞窟のなかの闇は、想像以上に人の心を不安に揺り動かすという。高嶺氏の「めぐる」作品の作りだす、揺れ動く気持ちの起伏を、吉岡氏は物語的であるとも評しておられた。

高嶺格_吉岡洋  新作「大きな停止」は、目の不自由な方のアテンドによるツアー形式をとる。私たちは、廃材の庭をめぐる。高嶺氏は、そうしためぐりをとおして、「心のレンジの操作をしたい」と述べられていた。揺れ動く気持ちの連続した時間のなかで、私たちは停止すること、休息することの意味を考え直すのだろう。

笹島秀晃(東北大学大学院文学研究科社会学専攻/「高嶺格[大きな休息]」展サポートスタッフ)