問題解決型ではなく問題提案型に

建築は受身だ

メディアと建築

建築という乗り物





建築は受身だ

―― 学生会議:東京R不動産のきっかけはなんですか。 

baba 僕は、大きいディベロッパー、メーカーとのつきあいが割とあって、そういう業種にすごく興味がありました。メーカーというのは、「世の中は何を求めているのか」ということから考えますよね。例えばソニーはウォークマンという概念を作り始めたわけです。メーカーは問題解決型ではなく、「こういうものがあったらいいでしょ」という問題提案型が基本です。売れる・売れないはメーカーに責任がある。自らリスクを犯して世にあるものを、より必要なものを、より魅力的なもの問う。つまり、メーカーのデザイナーは建築家とは全然違っていて、物を作り出す条件自体をつくりだそうとするのです。

ある仕事の中で、建築家とメーカーデザインナーの間で面白いやりとりがありました。建築家が「与件がないと設計に入れない」と言ったのに対し、メーカーのデザイン担当は「キョトン」としていた。与件がないとデザインできないというのはメーカーのデザイナーにはまったくわからないことだったのです。つまり世の中が何を欲しているかをまず考えることがデザインの根源であると彼らは考えていたし、それを放棄したらデザインする意味がないではないかと。このやり取りを見て決定的に「建築は受身だ」と思う瞬間があったのです。これは意識すべきことかも知れないと思い、とても影響を受けました。

ディベロッパーも、自分で土地を探してきて、「ここにこういう街を作っていって」という発想をします。そのパワフルさと、「俺たちが都市を作る」という大げさな決意、大きな動き方のようなものは今の建築家に欠落している「都市へのスタンス」ではないでしょうか。だからメーカー、ディベロパーというものにとても興味がありました。建築家がメーカー、ディベロッパーを意識できるのか、メーカー、ディベロッパーになれるのか、というところは前から気になっていました。例えば、ジャン・プルーベやバックミンスタフラーは、メーカー的だったし、ルイス。バラガンは自らが、デベロッパーとなって手がけたものに、いい作品がある。彼らの活動が頭の中にいつもありました。

Rプロジェクトや他のプロジェクトとか、今までばらばらの点だったものがある時につながって、東京R不動産が頭に浮かんだ。東京R不動産はディベロッパーに近い、建築家として少し踏み込んだ行為だと思います。
    
TDBCE(Tokyo Designers Block Center East)というプロジェクトがあるのですが、それは東京駅東側の空きビルだらけの場所を使って10日間だけ無料で空きビルを借り、アート作品を展示し、街をフィールドにした美術館・ギャラリーをつくって地図を見ながら街を歩こう、というものです。R-projectのメンバー、日本橋、神田の町の人とやることになりました。

その時、地元の不動産屋に問い合わせてみて紹介された物件は、バブルの時につくったようなダメ空きビルで、はっきりいってみんなダサかった。でも最後の最後で、「もうこういうのしか残ってないよ」と言って出してきたのが、まさに僕が探していた物件だったりしたのです。そこで感じたのが、供給者側と需要者・消費側のニーズの間には大きな溝があり、この溝を埋めることが必要だと思ったのです。それが「東京R不動産」を始めようと思ったきっかけです。それはsite・場所を探すという行為と目的はつながっていて、「すでにあるものを使う」・「デザインの領域を再定義する」・「siteを探す」という三つの条件を具現化するために有効な手段として働いていました。「東京R不動産」のwebサイトを作ってみたら、案外そういうニーズがものすごくありました。webサイトにアクセスが殺到してきて、やっぱり僕が欲しいものはみんなが欲しかったんだと納得したわけです。     

―― 学生会議:よい物件の探し方というものはあるのでしょうか。 

自分自身も忙しいから、僕は探しには行っていないのだけれど、「あの辺のビルが気になるのだけど」というような感じで、何人か協力してくれる人がいる。そういう人は圧倒的に建築学科卒業の人間が多くて、建築を学んでいる人間は都市を見る視線が鋭い。何が魅力的なのか、この隙間やこの空き地、この空きビルに一体いかなるポテンシャルがあるのかを読み解く技術がいつのまにか養われている。そういうところが建築の教育の重要なポイントだとも思います。
   
前に言ったけど情報を発信するところに情報は集まるから、webサイトを見て「ちょっとうちのビルどうでしょうか」という問い合わせがあって見に行ってみて、「こうすればいいんじゃないか」という話しをして来ます。そういうことをしていると、不動産業界がいかに保守的であるかとか、一般の人が空間を改装することの具体的な手段・方法に対して全くの無知であることにびっくりしますね。     



―― 学生会議:この事務所(日本橋にある馬場さんのアトリエ)もR-projectで手がけたのですか。 

文芸春秋の「TITLE」という雑誌の取材で空き物件をいろいろ紹介してもらっている時に、偶然この物件と出会いました。この物件は、以前は駐車場として貸していたところです。不動産情報を見ると駐車場兼倉庫となっていて駐車場というカテゴリーなわけです。そういうカテゴリーで既にファイルが違っていて、不動産屋では駐車場としてファイリングされていたのです。一階は食料品の倉庫だったらしいけれど、こぢんまりとしていて、かわいくて、天井も高くていい物件だと思いました。長い間借り手がいなくて、10万で貸し出していたそうです。僕は「10万、10万で?・・・俺ここ借りるわ」という感じで即決で借りました(笑)。ちょうど日本橋というのが、わかりやすいし、ショールーム代わりとして、もっとも極端な例をこのアトリエで提示できると思いました。どのくらいの手をかけることで、どれだけ楽しめるかということを検証してみたのです。働き方もふくめてプレゼンテーションしてみたということですね。     

―― 学生会議:駐車場プラス倉庫から事務所に変えたわけですか・・・・。 

シャワールームもつけて、事務所兼住居になるところでしたよ。シャワールームは今ではすっかり物置になっているけれど、最初は僕が住んでもいいかなって思っていた。     

―― 学生会議:住み心地のほうはどうですか。 

寒い。今年の冬は寒かった(笑)。オープンエアだからね。僕の実家はタバコ屋で、実はこの実家の商店の形態とこの事務所形態は深い関係があります。商店の形態としては、通り側に店があって、家族が奥で住んでいて、その店と住んでいる部屋との間に中間的なスペースがあるといった三部構成の職住一体型で、僕が店番をしていると「おう元気だね、マーボー。」とかいいながら町の人が通りすぎていく。中にいても「ごめんください」って入ってくるのが常でした。だから中間領域は常にオープンな状態なわけです。要は、自分の職場が都市・街に対して開いているっていう環境で育ってきたということもあって、それでこの事務所もオープンエアの形態をとっているのです。
   
パブリックとプライベートの中間領域があってここがバッファーゾーンで、この存在、またパブリックとプライベートの中間領域ではたらくことは面白いのではないかって思っていたんですね。西海岸に行った時もオープンエアの設計事務所がぱらぱらとありました。前面が窓になっていて町に向かって「僕たちはこういう仕事をしています」っていうのを見せているように感じて、それは気持ちよさそうだった。僕がいきなり取材に行っても「どうぞ、どうぞ」という感じだったし、それは都市に対して開いているからだと思って、これはおもしろい、どこかでやってやろうと思っていました。     



一階はバッファーゾーン・中間領域で、僕は「庭」っていうふうに呼んでいるのだけど、「庭」って個人の空間なのか、パブリックな空間なのかあいまいな空間ですよね。だからここをシェアしているメンバーがいて、ふらっときて仕事してすぐどこかへ行くとか、ここでミーティングだけするとか、こういう取材が行われるという中間的な働き方の領域を作っている。町の人も覗いていって、「こんにちは」っていう感じでアイコンタクトして通り過ぎていく。ネコもチラッとみて、何だここはという顔をしてサッと行ってしまうこともある(笑)。ギャラリーみたいなこともやったこともあるし、ここでターンテーブルを回したこともあったし、いかようにも読み換え可能な空間なのです。
    
―― 学生会議:馬場さんは事務所のどこで仕事をなさっているのですか。

固定した場所はなくて、僕は好きなところで仕事をしています。ただ原稿を書く時にはほぼその辺のカフェで。カフェとかっていう気取ったものではなく喫茶店で書いています。事務所だと他の仕事がいろいろあるから、都市に浮遊しているような存在になるほうが書きやすいかな。


―― 学生会議:事務所の所員の方は何人いるのですか。

事務所の所員自体は4人なのだけど、シェアしている人もいます。ここは編集している人間とか、不動産に詳しい人とかが集まれるようになっています。
    

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