2008 年 12 月 5 日

しばらくブログ失礼しました。
オープンからしばらく仙台にいて、おととい大津の自宅に戻りました。
昨日と今日は頭を切り替えて大学の授業。でした。

さて。
久々にブログ見てみると。
誰だ~~こんな気持ち悪いの書いたのは~~
「それが、彼。」
誰だ~それ~~

西野さんも相当に独自の視点で書いてますね。
西野さんは相当に面白い人だと思ってたけど、これ読んで「本物」だと思いました。

最近ので唯一まともなのが、八代君のですね。
さすがはマタギ。

ところでオープニングに遠方からいらっしゃった方々、はるばるありがとうございました。
この場を借りて御礼申し上げます。
また、翌日のレクチャーにもたくさんお集りいただき、ありがとうございました。

今回の作品、まだまだ言語化できていないんだけど、これから考えたらいろんなことが書けそうな予感があります。アテンドの桧山さんから、「最後の石のと ころについて解説してください」と言われ、ちょっと書いてみたら言葉がどんどん出てきました。こういうことが随所に出てくる気がする。

アテンドに対する説明会、それが座礁したのち考えたこと、実際の案内を経て思ったこと、いろいろあります。
それはこれからじっくり考えるとして、

今日は、今回関わってくれた方々にお礼を言いたいと思います。
まずは製作に関わってくれた方々から。

東北工業大の建築の学生には本当に献身的に手伝ってもらいました。ここでは全員の名前を挙げませんが、つきあうほどに味の出る個性的なメンバーの集まり でした。なんかねー、ツキハシ研のチームワークはよく出来すぎだ。いやほら、自分も授業やってるからさ。建築の学生は真面目だから、とかケント君は慰めで言ってくれるけどさ、先生の鶴の一声っていうのも大きいでしょ。いちいち振り返って自分の指導力のなさを思い、落ち込むことしきり。いやいや、卒業設計で忙しいときに、ほんとによくやってくれました。

西野さんは、さっき変人呼ばわりしたけど、実は東北福祉大のアニメーションの先生です。学生の木内君を引き連れて、空いた時間全てを捧げる!くらいの勢いで参加してくれました。僕には唯一といっていいほどの、超スポーツマン(というか体育会系)の友人で、ほとんど神話に近い、唖然とするような昔話のネタをゴマンと持っています。デコトラに匹敵する強度です。

東北大の笹島君は、文学部の博士過程で、最初は言葉の部分で関わるような話だったのに、いきなり肉体労働からバリバリこなすので驚いた。なんか、コミュニケーション能力も含めいろんな意味で現場に安心感を与えてくれました。研究者はこうでなきゃ。

武海さん。ティーハウスという建築設計事務所の建築家。今回の現場をまとめてくれた人です。なにをしてても、そのままジュリアン・オピーの作品を見ているような、競争力の高い容姿を持つ。ヒゲをなぜながら「ウーン」と難題をこなしていく姿は、本当に絵になっていました。

笠松さんと大友さんは、夏のYCAM大友展からのボランティアつながりでした。公務員なのに、仕事休んできてくれたり。(オフレコ?)

で、解体したのは大友さんの家で、この解体を期に、大友家では大変なドラマがあったそうで、結果的には度量の大きいご両親の英断により、展覧会はつつがなく開けているわけで、大友さんとご両親にはお礼を言っても言い切れないくらいです。で、その、解体に際する「ドラマ」があったという話を聞いたときに、その「感情」の部分が救いなんだ、と思ったのです。今回の展示ではその「感情」の部分を特別には扱ってはいないけれども、プレハブに対しては起こりえない、「捨てられるモノ」への「行き場のない思い」というのが、この展覧会の土台を支えているのであって、それを示し、僕に教えてくれた大友さんの両親に、改めて感謝いたします。

製作場所の倉庫を提供してくれた卸町の方々、特に事務局の武田さんには本当にお世話になりました。ここは様々な企業の集まったエリアなのですが、会社同士の横つながりで地域のことを本気で考えている姿勢には、本当に驚きました。企業とコミュニティの在り方について、全国的に参考になる先駆的なケースとしてご紹介しておきます。http://www.oc-sendai.ne.jp/

また、この卸町エリアに在る「せんだい演劇工房10box」にもお世話になりました。「地域に根ざす」と言うのは、言葉では簡単ですが、文化施設が周囲とコンセンサスを持って恊働するというのは、まあ、簡単ではないんですね。座長の八巻さんの見事な振る舞いを見るにつけ、僕もいつかこう在りたいな、と思うことしきりでした。http://www.bunka.city.sendai.jp/10box/

コタロウは、このブログでクソミソに書かれてしまって、AD&Aの仕事に支障が出ないか心配してますが、今回も実によい働きをしてくれました。今回は未知のプログラム、MAXに挑んどった。次はなにかな?

最後に、メディアテークを代表して清水ケント君に。
美術展の場合、少なくともキュレータと作家が手を組まないといい結果は出ません。何かを「変える」という意志を持った場合は特に。作家だけでも、企画者だけでもダメで、双方は最初から最後まで、共犯者という関係でないと保たない。僕は仙台のことは知らないので、仙台の中でアクションを起こすというときに、それは必然的にケント君の視点を借りていたのだと思います。よい共犯ができたことに多謝。また、それを可能にしてくれた、数多くのスタッフには本当に本当に、お世話になりました。改めて御礼申し上げます。(というか、これからも毎日、かけずり回ってもらうことになりました。足を向けて寝られません。)

作品についてはまた思いついたら書きます。
なんか、予想以上に長くなってしまいましたが、今回これにて。

Garden

2008 年 12 月 3 日

何も無い。ただ、チューブがある。
ただのチューブ。 なんかじゃない、圧倒的な存在感を示す、チューブ。

何かしらの作品が展示されていなくても、
既にその「空間」が作品として仕上がっているかのような、
せんだいメディアテークの6階ギャラリー4200。
原野には、原野としての完成形のパースペクティブがある。
それにわざわざ作為を加えずともいいではないか、とも思えるかも知れない。

しかしその原野に、
植物を植えるように無数の廃材を配置し、
わざわざその空間に抗うかのように「庭」をつくった男がいる。

それが、彼。

その「庭」の案内人として彼が選び出した人々は、目の不自由な方々である。
案内人なしには、その庭への立ち入りは許されない。

何故、目の見えない人に自分が案内される必要があるのか?
その答えを人に問う前に、是非自らに問いかけてほしい。

そもそも、普段から一瞥すれば瞬時に物事を分かった気になっているが
本当に私たちには「見えて」いるのだろうか?

案内人は総勢10名。
出会った案内人によって、庭への印象が変わるかもしれない。
違う発見があるかもしれない。
同じ案内人に再び見えたとしても、全く同じ道先案内をするとは限らない。
だから、私たちは、この庭を訪ねに何度でも足を運んでほしいと願っている。

===

彼の庭を訪ねたい方は、下記時間をご参照の上、ご来場ください。

 10:30-11:10
 11:10-11:50
 11:50-12:30
 12:30-13:10
 13:10-13:50
 13:50-14:30
 14:30-15:10
 15:10-15:50
 15:50-16:30
 16:30-17:10
 17:10-17:50
 17:50-18:30
 18:30-19:10
 (12月12日以降)
 19:10-19:50
 19:50-20:30
 20:30-21:00

お食事前においでください – Muted Space –

2008 年 12 月 3 日

現代美術作家の展覧会というと、
少し敷居が高く感じられる方があるかもしれません。
でも、ご安心ください。
今回の高嶺展には、有料展示の他に、無料の部分もあります。
まずは、こちらをご覧いただき、高嶺格さんを感じてください。
過去の作品を中心に展示されておりますが、
ここだけでもかなり楽しめます。
ご覧になる時に注意していただきたい作品が1つあります。
お部屋の入口が25.5センチしかありません。
お腹まわりの気になる方は、どうぞお食事前においでください。
無料部分を楽しんだ後は、
ぜひ、仙台で生まれた作品がある有料部分もご覧ください。

大きな休息

2008 年 12 月 2 日

今回、高嶺展にボランティアスタッフとして参加させてもらった
ツキハシ研の八代です。
先日オープンした展覧会。

すべてを等価にすること。。。今回の展覧会の主旨であると僕は感じました。

作業を手伝っている時には、一つ一つの作品としてしか見れていなかった。
しかし、smtへの搬入から設営、そしてアテンドさんによるツアーによって、無料ゾーンも有料ゾーンも関係なく、何か「すべてを等価にすること」という大きな一つの作品内をめぐっているように感じれるようになっていった。

見た人は、少しは共感してもらえる部分があると思います。
そして、まだ見ていない人は、この人は何を言っているのだろう??と思うでしょう。
見ていない人は是非smtへ足を運び、この現実世界に対立する高嶺世界を体感してみてください。
考えさせられます。
それでは、この辺で失礼します。

オープン

2008 年 12 月 1 日


11月29日ついに展覧会オープンしました。20日に制作現場を倉庫からメディアテークに移してからは、連日深夜まで多くの制作ボランティアさんと作業を行いました。また、新作「大きな停止」は、目の見えない方のアテンドによるツアー形式で鑑賞する作品となりましたのでその練習もあわせて行いました。アテンドさんは、仙台にお住まいの方だけでなく、東京や京都などの遠方からも駆けつけてくださっています。1回のツアーは約40分、12月11日までは毎日13回、12日からは16回実施します。
美術展の関連イベントとしての目の見えない方によるツアーではなく、作品の一部としてツアーがあるというこの新作は美術のファンでなくとも必見です。この展覧会は12月24日までという短い期間ですが、是非ともメディアテークに足をおはこびください。

高嶺さんの仕事ぶり

2008 年 11 月 27 日

サポートスタッフの西野です。
高嶺さんのアシスタントとして来ているコタロウとかつて同じゼミの同級生だった縁で、今回ボランティアとしてサポートスタッフに参加させていただきました。

10月3日のキックオフミーティングから参加して、はや2か月。もう明後日には展覧会の初日です。
卸町の倉庫で制作していた作品等々を11月20日に、せんだいメディアテークへと搬入。
そこからは高嶺さんの本制作のラストスパートが続いています。

本当ならもっと丁寧に文章を書かなければならないのかも知れませんが、追い込み作業で時間もないので、このラストスパートの雰囲気にのって直感でどんどん書きたいと思います。
制作の具体的なことについてはネタばれすると面白くないので、ここでは、サポートスタッフとして接した現代美術家、高嶺格さんのお人柄や仕事ぶりなど、展覧会では見られない側面を少しご紹介します。
ブログを観る人もたぶんそんなことを期待しているはず。

サポートスタッフとして接する高嶺格さんは、とても誠実で丁寧。たいへんソフトな印象を与えてくれる人です。
スタッフのみんなに制作の説明をしてくださるときも、とても丁寧にゆっくりと話します。

これまで作品だけで高嶺さんを知っている人にとっては、もしかしたら少し意外かも知れません。そうでも無いかな?

制作中の高嶺さんはいつも冷静な表情です。静かに制作に集中しています。
作業をはやく終わらせて遊びに行きたいコタロウに「やる気あるんか!」と一喝するときも、高嶺さんの表情は至って冷静。
まるでコタロウのそんな行動も想定済みのようで、高嶺さんを動揺させることはできません。
まさしく「不惑」の高嶺さん。

高嶺さんの仕事ぶりはそんなお人柄を反映してか、いつも冷静かつ丁寧で、基本に忠実な感じがします。
ひとつの作業も疎かにせず、いつも作品の全体から細部まで気を使って、集中して作業しています。
作品からすこし離れて立ち、じっと眺め、しばし考え、ふと手を加える。そしてまた、すこし離れて、作品を眺める。
そんな姿は、もしかしたら、みんなが一般的に想像する「現代美術家」そのものかも知れないですね。
そんな作業を高嶺さんは毎日坦々と行っていました。

しかし、私が見てきたのは高嶺さんの制作現場での姿だけです。
作業時間外や、たまに制作現場にいないときなどにも、メディアテークのスタッフの方と作品についての検討を行ったり、他の協力してくれる方々と交渉を重ねたりと、現場に劣らず精力的に行動されているようでした。
もしかしたら、そこに私の知り得なかった高嶺さんの制作の「秘密」があるのかもしれません。

すっかり文章がまとまらなくなりましたが時間もないので、ブログの〆は、そんな高嶺さんの制作の「秘密」を知っているかもしれない、高嶺さんをがっちりサポートしてきたsmtのスタッフ、もしくはツキハシ研のみんなに期待しつつ、この辺で終わりにします。

もう後一時間で、展覧会前日です。開会後はぜひ皆さん会場へお越し下さい!!

卸町篇 最終章

2008 年 11 月 24 日

 初めまして。東北福祉大学からボランティアで参加させていただいてる木内です。ゼミの西野先生に高嶺展の紹介をしてもらって、ここにいます。
 早いものでもう展覧会まであと4日となりました。現在、メディアテークでの作業も大詰めとなっています。いきなりメディアテークの話をするのも何なので、卸町倉庫での搬出あたりまでを書きたいと思います。
 とりあえず自分には担当の作業があるわけでもなかったので、手が空いたら人手の足りないところを手伝ったりしてました。実際にいくつかのオブジェクトが完成したのを見てきましたが、そのたびに「さあこれはどこに使われるんだろう」なんて楽しみにしてました。一応自分はアニメーションを作ったりしているので、奇妙なオブジェクトはいい刺激になっています。廃屋も面白いアレンジがされています。ただ、高嶺さんは卸町倉庫だけでは判断し兼ねているところもあったようで、オブジェクトが完全に完成とまではいっていません。その辺も楽しみのひとつではあるのですが。
 さて、それらの大小さまざまなオブジェクトは、20日にメディアテークに搬入され、形になってきました…というところで続きは次の人にバトンタッチします。見れば皆さん疲労の色も濃いですが、それだけ頑張ってます。楽しみにしていただいて損はないと思います。

卸町生活

2008 年 11 月 7 日

卸町市場の食堂で腹を満たして

素材探索して

制作はまだまだ続く。

公開制作中、卸町倉庫「ハトの家」。

   期間:2008年11月 8日(土)~10日(月)
               15日(土)~17日(月)
公開時間:11:00~17:00 
       (12時から13時頃まで昼食休憩をとっている場合があります。)
   会場:イベント倉庫「ハトの家」 仙台市若林区卸町2丁目15-6
       卸町会館・サンフェスタから東へ徒歩1分
       地図

トイレに行けない

2008 年 11 月 4 日

コタロウがゲロ吐きながらトイレで寝てしまったのでトイレに行けません。さっきから意味不明なことをなにか言うとる。大丈夫かな。

こんなに酔うのは珍しいが、コタロウは昨日着いたばかりだが今日はもう飲みに行ってて、いやもう、こんなことはいままでなかった。展覧会オープン前に飲 みに行くことは、これまでほとんどなかった。山口でもほとんど行けてないもん。それで、「うわー、今回は珍しいですね!」とかなんとか喜んで飲んでて、 この有り様や。

いやしかし、余裕があるとかいうわけじゃないのです。まだなにするか肝心のとこが決まってないし。でも今回は実に考える作業が多い。みんなが作業してる 横で、僕はどーしよーかなーと考えてる。

あと、まだ現場じゃないというのが大きいのかも。今回、建築系の人と一緒にやってて新鮮なのは、「スタディ」という概念がある、ということ。僕は一発即 興本番でなに出せるか、というとこでこれまでやってたんだということがよくわかります。僕の場合、いきなり本番でトライをやる。エラーの出るリスクを、 経験から予想して、イケると判断した場合は、そのままいってしまう。これまでたくさん失敗してるから、判断の精度は上がってきてるけども、それでもかな りのリスクを背負ったまま本番に突入することに変わりない。スタディなんて地に足着いたことができる人はえらい。

建築の人は、いろんなシミュレーションをした上で制作に入るんだなーと思いました。でも、僕も頭の中でシミュレーションはやるから(一瞬考えるだけだけ ど)、なにが違うんだろうと思ったら、僕の感覚というのは、舞台の大道具の経験から来てるんだと思いました。僕は学生のときから足掛け8年くらい、京都 で大道具のバイトをしていたのです。

舞台のセットは、「最低限この構造があればつぶれない」を前提としてやってるのと、お客さんから見えるとこさえきれいに仕上がっていればいいから、無駄 を徹底的に省く。終わったあとはバラすから、バラしやすいように作る。バラしたあと、使えるものは何度でも使う。あと、仕事のサイクルが早いので、舞台 さんはむちゃくちゃ仕事が早い。そらもう、びっくりするくらい効率的に仕事が進んでいくのです。(職人だということかな。あ、でも職人の驚くべき身体感 覚についてはまた別に考えたい。)

美大の工芸科にいて、大道具のバイトをしているというのは、いま思えば引き裂かれるような経験だったのかなあと思う。
コタロウがなんかまた発声したので、おやすみなさい。

いのちの食べ方

2008 年 10 月 31 日

高嶺です。

これまで何度か書き込みしようと試みたのですが、そのたびにアプリが落ちて断念していました。いまもまた落ちるかもしれないと思うと気分の方が落ちるのですが、なんとか。ええい、落ちるなよ。

タイトルの「いのちの食べ方」は、それこそ2週間も前に、家の解体をしてるときに感じていたこと。(そのときにすぐ書こうとしてタイトルだけつけたときに、落ちてそのままになってた。)

同名の森達也さんの本があって、食用肉が作られるまでを追ったドキュメントでした。屠殺場の現場です。それと、同じタイトルで映画もありましたね。(僕は見てないんだけど、どんな映画なんだろう?)

長年住んでいなかった家って、積年のホコリやカビやらが鬱積していて、解体はお世辞にも愉快な作業じゃなかった。(家主の大友さんごめん。)腐りかけのベニヤ板の、バサバサになった薄い板が釘にひっかかってなかなか取れないのを、無理に引きはがしてホコリがバサーッと舞い上がる中で作業してると、そこにいるだけで病気になってしまいそうで、ああ今すぐ逃げて南の海に飛び込んでマンゴージュース飲みたい!とかすぐ思う。

こんな小さな解体でもそうなのに、でかい家やビルなんてどうなるのよ?と思うけど、今の解体作業っていうのは、僕はよく知らないけど、機械化されて、周りに完璧に覆いがされて周囲からは見えない中で行われているから、普段は気にも留めない。そんなことを考えて、それで「いのちの食べ方」。こちらは使用後バージョン。住むだけ住んで、あと業者に金払ってどこかに捨ててもらって、自分は手を汚さずに終わり、という住居とのつきあい方。それこそマンゴージュースを飲んでる間に、ぜーんぶ誰かがやってくれる。解体やってはじめて感じたこの不快感は、なんらか作品に持ち込まれる。。。でしょう。
さてどうなることやら。

作品作ってるときのブログって難しいね、という話を石澤君としてました。あんまり具体的なこと書いたり写真貼ったりしすぎると、ネタばれしてしまって、実際見たときつまらんくなるしさ。じゃあなんで書くの?といったら、やっぱりこれ見た人が面白そうと思って、来たい気持ちにさせるためだろうし。
僕はネット上で日記書いたりすることもやったことないんだけど、藤浩志さんや大友良英さんや、すごい上手に、しかもマメに書いてるよなーと感心する。これぞメディアリテラシーというんだろな。ま、あんまり考えすぎないでどんどん書き込んでくれるのがいいので、今日から考えないことにしましょう。

いまはツキハシ研のゼミ生と、東北福祉大の西野さんとこ、あと武海さんの専門学校の学生などなどの混合チームで作業してます。これがヒジョーに頼もしい。毎晩ビールを振る舞いたいけれども、みんな車かバイクで来てて、酒のめんのよねこれ残念。遠慮深くて、みんなお菓子にも手を出さない。塩辛とかの方がいいのかな。カフェスペースを充実させたいな。