‘from 高嶺格’ カテゴリーのアーカイブ

いかないで待ってあたし

2008 年 12 月 20 日 土曜日

学校の舞台の授業は佳境。今年、時間は矢のように過ぎてしまった。本番の2月20日に向けて、レバノンの舞台、がんばり中です。あもう、ホント追いつめられてる。

ところであっという間ですね、仙台。もう終わってしまう。展覧会はいつもこう。あっという間に更地になる。(舞台のあっけなさと比べるといくらかマシだけど)

展覧会について、知人/友人からいろんなメールをもらっています。新聞にもいろいろ載りました。朝日の大西さんが、「当初あざとさも感じたが・・・」と 書いてましたが、これまったく同感で、「見えない人が美術展の案内をする」というヘッドラインだけで想像する限りでは、どう考えてもあざとい。裏かいて 喜んでる愉快犯、のような印象があると思うのですが。

でも、実際に体験してみると、そんなわけではなさそうです。そんなにわかりやすいものではなく、もっともっと「奇妙な体験」として体に刻まれてるよう な。これをどう説明したらいいか、もちょっと時間かかりそうなのですが。

アテンド(ツアーガイド)には「好きなようにやってください」と、一部の演出を除いてほぼ丸投げしているので、アテンドによって話す内容はまるで違う し、その日の気分によっても違うし、飽きてきたらまた違うことを話すだろうし。また、これが一番大きいと思うけど、参加してる客によってずいぶん変わる。だから、「固定した展覧会の印象」というのが、ないのです。

山口から来てくれた山城君は、ツアーの間、終止笑いっぱなしでしたと。アテンドの山川さんと盛り上がってしまって、終わったあとも一緒にツアーで回ったメンバー(たまたま一緒だった8人)と山川さんで長々と話しこんで、その後牛タンまで食べにいったのだと。そんな事態を誰が予想したか?

つまりわからんのですよ。客がどう思ったのかが。
いない間にどんどん勝手に転がっていってるようで、現場にいないのがホント口惜しいです。でも、アテンドの皆さんは、どんどん「素」を出してきてるんじゃないか、と想像しています。楽しむ方法を見つけたというか。
そうだとしたらシメシメ。

僕はもうすぐ搬出に行きます。どこから手をつけようか。誰か作品ほしい人いないかなー
捨てる以外行き場所ないものも結構あって、もらってくれる人いたらいいんだけど。

2008 年 12 月 5 日 金曜日

しばらくブログ失礼しました。
オープンからしばらく仙台にいて、おととい大津の自宅に戻りました。
昨日と今日は頭を切り替えて大学の授業。でした。

さて。
久々にブログ見てみると。
誰だ~~こんな気持ち悪いの書いたのは~~
「それが、彼。」
誰だ~それ~~

西野さんも相当に独自の視点で書いてますね。
西野さんは相当に面白い人だと思ってたけど、これ読んで「本物」だと思いました。

最近ので唯一まともなのが、八代君のですね。
さすがはマタギ。

ところでオープニングに遠方からいらっしゃった方々、はるばるありがとうございました。
この場を借りて御礼申し上げます。
また、翌日のレクチャーにもたくさんお集りいただき、ありがとうございました。

今回の作品、まだまだ言語化できていないんだけど、これから考えたらいろんなことが書けそうな予感があります。アテンドの桧山さんから、「最後の石のと ころについて解説してください」と言われ、ちょっと書いてみたら言葉がどんどん出てきました。こういうことが随所に出てくる気がする。

アテンドに対する説明会、それが座礁したのち考えたこと、実際の案内を経て思ったこと、いろいろあります。
それはこれからじっくり考えるとして、

今日は、今回関わってくれた方々にお礼を言いたいと思います。
まずは製作に関わってくれた方々から。

東北工業大の建築の学生には本当に献身的に手伝ってもらいました。ここでは全員の名前を挙げませんが、つきあうほどに味の出る個性的なメンバーの集まり でした。なんかねー、ツキハシ研のチームワークはよく出来すぎだ。いやほら、自分も授業やってるからさ。建築の学生は真面目だから、とかケント君は慰めで言ってくれるけどさ、先生の鶴の一声っていうのも大きいでしょ。いちいち振り返って自分の指導力のなさを思い、落ち込むことしきり。いやいや、卒業設計で忙しいときに、ほんとによくやってくれました。

西野さんは、さっき変人呼ばわりしたけど、実は東北福祉大のアニメーションの先生です。学生の木内君を引き連れて、空いた時間全てを捧げる!くらいの勢いで参加してくれました。僕には唯一といっていいほどの、超スポーツマン(というか体育会系)の友人で、ほとんど神話に近い、唖然とするような昔話のネタをゴマンと持っています。デコトラに匹敵する強度です。

東北大の笹島君は、文学部の博士過程で、最初は言葉の部分で関わるような話だったのに、いきなり肉体労働からバリバリこなすので驚いた。なんか、コミュニケーション能力も含めいろんな意味で現場に安心感を与えてくれました。研究者はこうでなきゃ。

武海さん。ティーハウスという建築設計事務所の建築家。今回の現場をまとめてくれた人です。なにをしてても、そのままジュリアン・オピーの作品を見ているような、競争力の高い容姿を持つ。ヒゲをなぜながら「ウーン」と難題をこなしていく姿は、本当に絵になっていました。

笠松さんと大友さんは、夏のYCAM大友展からのボランティアつながりでした。公務員なのに、仕事休んできてくれたり。(オフレコ?)

で、解体したのは大友さんの家で、この解体を期に、大友家では大変なドラマがあったそうで、結果的には度量の大きいご両親の英断により、展覧会はつつがなく開けているわけで、大友さんとご両親にはお礼を言っても言い切れないくらいです。で、その、解体に際する「ドラマ」があったという話を聞いたときに、その「感情」の部分が救いなんだ、と思ったのです。今回の展示ではその「感情」の部分を特別には扱ってはいないけれども、プレハブに対しては起こりえない、「捨てられるモノ」への「行き場のない思い」というのが、この展覧会の土台を支えているのであって、それを示し、僕に教えてくれた大友さんの両親に、改めて感謝いたします。

製作場所の倉庫を提供してくれた卸町の方々、特に事務局の武田さんには本当にお世話になりました。ここは様々な企業の集まったエリアなのですが、会社同士の横つながりで地域のことを本気で考えている姿勢には、本当に驚きました。企業とコミュニティの在り方について、全国的に参考になる先駆的なケースとしてご紹介しておきます。http://www.oc-sendai.ne.jp/

また、この卸町エリアに在る「せんだい演劇工房10box」にもお世話になりました。「地域に根ざす」と言うのは、言葉では簡単ですが、文化施設が周囲とコンセンサスを持って恊働するというのは、まあ、簡単ではないんですね。座長の八巻さんの見事な振る舞いを見るにつけ、僕もいつかこう在りたいな、と思うことしきりでした。http://www.bunka.city.sendai.jp/10box/

コタロウは、このブログでクソミソに書かれてしまって、AD&Aの仕事に支障が出ないか心配してますが、今回も実によい働きをしてくれました。今回は未知のプログラム、MAXに挑んどった。次はなにかな?

最後に、メディアテークを代表して清水ケント君に。
美術展の場合、少なくともキュレータと作家が手を組まないといい結果は出ません。何かを「変える」という意志を持った場合は特に。作家だけでも、企画者だけでもダメで、双方は最初から最後まで、共犯者という関係でないと保たない。僕は仙台のことは知らないので、仙台の中でアクションを起こすというときに、それは必然的にケント君の視点を借りていたのだと思います。よい共犯ができたことに多謝。また、それを可能にしてくれた、数多くのスタッフには本当に本当に、お世話になりました。改めて御礼申し上げます。(というか、これからも毎日、かけずり回ってもらうことになりました。足を向けて寝られません。)

作品についてはまた思いついたら書きます。
なんか、予想以上に長くなってしまいましたが、今回これにて。

トイレに行けない

2008 年 11 月 4 日 火曜日

コタロウがゲロ吐きながらトイレで寝てしまったのでトイレに行けません。さっきから意味不明なことをなにか言うとる。大丈夫かな。

こんなに酔うのは珍しいが、コタロウは昨日着いたばかりだが今日はもう飲みに行ってて、いやもう、こんなことはいままでなかった。展覧会オープン前に飲 みに行くことは、これまでほとんどなかった。山口でもほとんど行けてないもん。それで、「うわー、今回は珍しいですね!」とかなんとか喜んで飲んでて、 この有り様や。

いやしかし、余裕があるとかいうわけじゃないのです。まだなにするか肝心のとこが決まってないし。でも今回は実に考える作業が多い。みんなが作業してる 横で、僕はどーしよーかなーと考えてる。

あと、まだ現場じゃないというのが大きいのかも。今回、建築系の人と一緒にやってて新鮮なのは、「スタディ」という概念がある、ということ。僕は一発即 興本番でなに出せるか、というとこでこれまでやってたんだということがよくわかります。僕の場合、いきなり本番でトライをやる。エラーの出るリスクを、 経験から予想して、イケると判断した場合は、そのままいってしまう。これまでたくさん失敗してるから、判断の精度は上がってきてるけども、それでもかな りのリスクを背負ったまま本番に突入することに変わりない。スタディなんて地に足着いたことができる人はえらい。

建築の人は、いろんなシミュレーションをした上で制作に入るんだなーと思いました。でも、僕も頭の中でシミュレーションはやるから(一瞬考えるだけだけ ど)、なにが違うんだろうと思ったら、僕の感覚というのは、舞台の大道具の経験から来てるんだと思いました。僕は学生のときから足掛け8年くらい、京都 で大道具のバイトをしていたのです。

舞台のセットは、「最低限この構造があればつぶれない」を前提としてやってるのと、お客さんから見えるとこさえきれいに仕上がっていればいいから、無駄 を徹底的に省く。終わったあとはバラすから、バラしやすいように作る。バラしたあと、使えるものは何度でも使う。あと、仕事のサイクルが早いので、舞台 さんはむちゃくちゃ仕事が早い。そらもう、びっくりするくらい効率的に仕事が進んでいくのです。(職人だということかな。あ、でも職人の驚くべき身体感 覚についてはまた別に考えたい。)

美大の工芸科にいて、大道具のバイトをしているというのは、いま思えば引き裂かれるような経験だったのかなあと思う。
コタロウがなんかまた発声したので、おやすみなさい。

いのちの食べ方

2008 年 10 月 31 日 金曜日

高嶺です。

これまで何度か書き込みしようと試みたのですが、そのたびにアプリが落ちて断念していました。いまもまた落ちるかもしれないと思うと気分の方が落ちるのですが、なんとか。ええい、落ちるなよ。

タイトルの「いのちの食べ方」は、それこそ2週間も前に、家の解体をしてるときに感じていたこと。(そのときにすぐ書こうとしてタイトルだけつけたときに、落ちてそのままになってた。)

同名の森達也さんの本があって、食用肉が作られるまでを追ったドキュメントでした。屠殺場の現場です。それと、同じタイトルで映画もありましたね。(僕は見てないんだけど、どんな映画なんだろう?)

長年住んでいなかった家って、積年のホコリやカビやらが鬱積していて、解体はお世辞にも愉快な作業じゃなかった。(家主の大友さんごめん。)腐りかけのベニヤ板の、バサバサになった薄い板が釘にひっかかってなかなか取れないのを、無理に引きはがしてホコリがバサーッと舞い上がる中で作業してると、そこにいるだけで病気になってしまいそうで、ああ今すぐ逃げて南の海に飛び込んでマンゴージュース飲みたい!とかすぐ思う。

こんな小さな解体でもそうなのに、でかい家やビルなんてどうなるのよ?と思うけど、今の解体作業っていうのは、僕はよく知らないけど、機械化されて、周りに完璧に覆いがされて周囲からは見えない中で行われているから、普段は気にも留めない。そんなことを考えて、それで「いのちの食べ方」。こちらは使用後バージョン。住むだけ住んで、あと業者に金払ってどこかに捨ててもらって、自分は手を汚さずに終わり、という住居とのつきあい方。それこそマンゴージュースを飲んでる間に、ぜーんぶ誰かがやってくれる。解体やってはじめて感じたこの不快感は、なんらか作品に持ち込まれる。。。でしょう。
さてどうなることやら。

作品作ってるときのブログって難しいね、という話を石澤君としてました。あんまり具体的なこと書いたり写真貼ったりしすぎると、ネタばれしてしまって、実際見たときつまらんくなるしさ。じゃあなんで書くの?といったら、やっぱりこれ見た人が面白そうと思って、来たい気持ちにさせるためだろうし。
僕はネット上で日記書いたりすることもやったことないんだけど、藤浩志さんや大友良英さんや、すごい上手に、しかもマメに書いてるよなーと感心する。これぞメディアリテラシーというんだろな。ま、あんまり考えすぎないでどんどん書き込んでくれるのがいいので、今日から考えないことにしましょう。

いまはツキハシ研のゼミ生と、東北福祉大の西野さんとこ、あと武海さんの専門学校の学生などなどの混合チームで作業してます。これがヒジョーに頼もしい。毎晩ビールを振る舞いたいけれども、みんな車かバイクで来てて、酒のめんのよねこれ残念。遠慮深くて、みんなお菓子にも手を出さない。塩辛とかの方がいいのかな。カフェスペースを充実させたいな。