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ありのまま性

2008 年 12 月 22 日 月曜日

みなさんこんにちは。アテンドの山川秀樹です。
今朝の関西は雨模様、今週はこれからうんと気温が下がるとの予報です。仙台はいかがですか?
みなさまもくれぐれもご自愛ください。

さて、年末最後のウィークデーがスタートし、ぼくも表面上はいつもの日常の中にいるように思われます。けれども、実はまだ、仙台での体験というか、あの「大きな休息」が残した大きな衝撃と深い余韻の中にどっぷりと浸っているのです。
あの十日間がまるでまだ昨日のことのようです。

特に後半、スタッフのみなさんはもちろん、とりわけ初対面のお客様と、ツアー終了間近におそらく共有していたであろうあのお互いの距離の近さはいったいなんだったのかと、そして、あの十日間の日常とも非日常ともつかない出来事は、ぼく自身の生の有り様にとってどんな意味を持つのだろうと、自らに問い直しているここ数日です。

前回目が見えているお客様と、目が見えないぼくとの間にある「自明性」の差異といったことについて少し触れました。
そして、もう一つ今回の体験を通して抑えておきたいテーマがあります。それは自らの「ありのまませい」ということです。

展示スペースに入ると、お客様にはその空間の全体像やあちこちに配置されている様々な事物が1度に目に入り、時には何が見えるかを語り始めたりなさいます。ところが、見えない状況で1歩ずつ導線を進んでいくぼくには、行き当たった事物の、それもほんの一部分が手や体に触れるというのが、展示作品との最初の出会いとなるわけです。そこでぼくは、そこで触れた事物の手触りや触感、把握できる形などから思い浮かぶことを話し始めます。それは、過去に触ったであろうその事物と似たもののことであったり、それを触ったときの出来事やその出来事に張り付いている思い出であったり、そのとき触れたものやお客さんの話を聴いて妄想したストーリーや現象であったりします。

それらぼくがあの空間の中で語ったことばは、まさに聴覚や触覚や嗅覚や味覚といった、いわば視覚以外の感覚を通してぼくが育んできた感性や経験、感じ方や思考etc.を基礎として、あの作品に触れたときにつむぎだされたことばだったのです。目が見えるお客様には、そうした感性から導き出されたことばの一つ一つがとても新鮮だったようですし、またたいへん興味深いと感じていらっしゃるようにも見受けられました。

ここでもぼくとお客様の生きる世界の、異質性や差異が浮き彫りになったように思われますが、こうした形でことばを通じて表現されたぼくの感じ方や思考の世界は、決して絵空事や作り事ではなく、ほぼ生まれたときから目が全く見えない状況の下で、目が
見えないという「障害」ゆえに生じる社会的な条件をもまたありのままに引き受けながら生きてきた今のぼくのありのままの世界なのです。
今回のアテンド体験を通して、そのぼくのありのままの感性や世界に改めて向き合うことができました。そして、目が全く見えないということから生じるであろう自らの障害者性や、自分が社会的マイノリティー(被差別者)であるということも含めた、自ら
の「ありのまま性」を自らしっかりと引き受けて、その「ありのまま性」を堂々と突き出して生きていくことの重要性やその社会的意義についても改めて気づかされたことは、今回の体験を通じての、非情に貴重で大きな成果と言えるでしょう。

会期も今日を入れて後三日、労苦を惜しまずに奮闘しているスタッフのみなさんに感謝と敬意を表しつつ、お客様やスタッフに様々な新たな気づきや希望が生まれることを祈念して関西からのメッセージとさせていただきます。

高嶺さんの仕事ぶり

2008 年 11 月 27 日 木曜日

サポートスタッフの西野です。
高嶺さんのアシスタントとして来ているコタロウとかつて同じゼミの同級生だった縁で、今回ボランティアとしてサポートスタッフに参加させていただきました。

10月3日のキックオフミーティングから参加して、はや2か月。もう明後日には展覧会の初日です。
卸町の倉庫で制作していた作品等々を11月20日に、せんだいメディアテークへと搬入。
そこからは高嶺さんの本制作のラストスパートが続いています。

本当ならもっと丁寧に文章を書かなければならないのかも知れませんが、追い込み作業で時間もないので、このラストスパートの雰囲気にのって直感でどんどん書きたいと思います。
制作の具体的なことについてはネタばれすると面白くないので、ここでは、サポートスタッフとして接した現代美術家、高嶺格さんのお人柄や仕事ぶりなど、展覧会では見られない側面を少しご紹介します。
ブログを観る人もたぶんそんなことを期待しているはず。

サポートスタッフとして接する高嶺格さんは、とても誠実で丁寧。たいへんソフトな印象を与えてくれる人です。
スタッフのみんなに制作の説明をしてくださるときも、とても丁寧にゆっくりと話します。

これまで作品だけで高嶺さんを知っている人にとっては、もしかしたら少し意外かも知れません。そうでも無いかな?

制作中の高嶺さんはいつも冷静な表情です。静かに制作に集中しています。
作業をはやく終わらせて遊びに行きたいコタロウに「やる気あるんか!」と一喝するときも、高嶺さんの表情は至って冷静。
まるでコタロウのそんな行動も想定済みのようで、高嶺さんを動揺させることはできません。
まさしく「不惑」の高嶺さん。

高嶺さんの仕事ぶりはそんなお人柄を反映してか、いつも冷静かつ丁寧で、基本に忠実な感じがします。
ひとつの作業も疎かにせず、いつも作品の全体から細部まで気を使って、集中して作業しています。
作品からすこし離れて立ち、じっと眺め、しばし考え、ふと手を加える。そしてまた、すこし離れて、作品を眺める。
そんな姿は、もしかしたら、みんなが一般的に想像する「現代美術家」そのものかも知れないですね。
そんな作業を高嶺さんは毎日坦々と行っていました。

しかし、私が見てきたのは高嶺さんの制作現場での姿だけです。
作業時間外や、たまに制作現場にいないときなどにも、メディアテークのスタッフの方と作品についての検討を行ったり、他の協力してくれる方々と交渉を重ねたりと、現場に劣らず精力的に行動されているようでした。
もしかしたら、そこに私の知り得なかった高嶺さんの制作の「秘密」があるのかもしれません。

すっかり文章がまとまらなくなりましたが時間もないので、ブログの〆は、そんな高嶺さんの制作の「秘密」を知っているかもしれない、高嶺さんをがっちりサポートしてきたsmtのスタッフ、もしくはツキハシ研のみんなに期待しつつ、この辺で終わりにします。

もう後一時間で、展覧会前日です。開会後はぜひ皆さん会場へお越し下さい!!